
おはようございます。
朝4時45分から梅の実の収穫。満開の時に大雨、そしてここ1週間の猛暑。庭やウッドデッキに実がポトポト落ちている。収量は例年よりも大幅に少ない。3.8キロほど。梅漬けを作る予定。シャワー、朝食、休憩後、買い物へ。帰宅すると、1日の仕事が終わったような気持ちになっていた。この4連休は、あまり仕事がはかどらなかった。特に、土日は息抜きのための2日間となった。
生き抜くために息を抜く
2001年、僕はある研修の中で「愉快に働く法十カ条」を知った。王子製紙の初代社長で、昭和の製紙王と呼ばれた藤原銀次郎の言葉。
1.仕事をかならず自分のものにせよ
2.仕事を自分の学問にせよ
3.仕事を自分の趣味にせよ
4.卒業証書は無きものと思え
5.月給の額を忘れよ
6.仕事に使われても人には使われるな
7.ときどきかならず大息を抜け
8.先輩の言行を学べ
9.新しい発明発見に努めよ
10.仕事の報酬は仕事である
それぞれ価値のある言葉。この十カ条は紛れもなく名言。迷言ではない。ハードな研修の真っ只中にあった僕は、「ときどきかならず大息を抜け」に救いを求めた。当時、僕は2つ掛け持ちで研修を受けていて、どちらもプレッシャーのかかるものだった。当然、睡眠時間は減った。研修中に大息を抜くことはできそうもない。だが、どういうわけか、一日だけ息を抜いた日のことを覚えている。ほとんど薄れかけている記憶だが、その日、研修仲間数名と居酒屋で新年会を開いたのだった。
たったそれだけの息抜きではあるが、僕にとっては生きるか死ぬかのどちらかと思えるほどハードな掛け持ち研修(大袈裟だな)。息を抜いたことで生き長らえたのかもしれない。
その後も常時2つの研修を同時受講するという日々が続いた。たぶん、2004年頃までそんな生活だったのではないかと記憶している。息抜きのコツをつかんだというわけではないが、気がつくと勝手に息が抜けている。安全弁のようなものが僕には備わっている。
これが僕の弱点であり、ちょっとした強みともなった。雑誌「スロウ」で文章を書くようになったのは2006年から。意気込みもあったが、ハード系の研修同様、僕はちょっとしたプレッシャーを感じていた。通常であれば、全力で原稿を書いて、入稿し、いよいよ校了という段階になってから大息を抜く。他の編集者はそうしていたに違いない。僕は校了後にも息を抜いたが、実は原稿執筆前にも息を抜いた。というより、抜けてしまっていた。抜け殻のような状態で2、3日過ごして、いよいよ追い詰められる。そこから、ようやく原稿を書き上がる。これは息抜きの間違った使用法に違いない。
その後、僕の執筆スタイルは、修正を加えながら今に至っている。かつてのような際どい入稿の仕方をすることはほぼない(と思う)。
結論としては、息抜きのコツ、技術を習得すべきではないかということ。僕はまだマスターできずにいる。主体的に「息を抜く」のではなく、気づいたら「抜けていた」ということが多い。自分でコントロールして、息抜きができるという人は立派なものである。僕は、仕事の遅れを休日に取り戻そうと思いながら、意図せず生き抜き(息切れ?)してしまい、不本意な土日を送ることが多い。
人生を主体的に生き抜くには、息抜きの技術を習得する必要がありそうだ。