おはようございます。
午前8時半、朝礼。9時15分、中小企業家同友会とかち支部事務局員のK氏とともに未会員訪問。7社訪問。うち4社からさまざまな話を伺うことができた。午後4時、帯広市役所。帯広市契約課と北海道印刷工業組合十勝支部の意見交換会。5時過ぎ帰宅。
義務感から麦感へ
十勝では小麦の収穫が最盛期。今年は猛暑が続いたが豊作らしい。十勝の基幹産業は農業。そして、十勝らしい風景といえば広々とした畑と背景にそびえる日高山脈。子供の頃はさほど感じなかったが、今では十勝らしさに心地よさを感じるようになっている。
だが、2000年、帯広にUターンしたばかりの僕は、十勝の風景に心地よさを感じる余裕はまったくなかった。頭の中は義務感で占められていた。後継者になることを引き受けた以上、もはや逃れられない。短パン+Tシャツ姿で仕事をしていた僕が、2000年5月を境に、スーツ+ネクタイ姿に一変した。ネクタイは首を絞められているように感じた。よく考えもせずに人生の大きな決断をしてしまったことについて、数ヵ月間もやもや考え続けていた。当然ながら、義務感は膨らんでいった。
ようやく義務感から解放されたのは2年以上たった2002年の夏。この頃、僕は2つの研修を同時に受講していた。受講期間中に創業者である父が他界。義務感などという中途半端な心理的ポジションではいられなくなった。外部環境、社内環境が激変する中で、猛勉強を行った。何が幸いしたのかわからないが、義務感が変容し、別な感覚を持つようになっていた。
今考えると、それは「麦感」というほかない。音更には「麦感(ばっかん)祭」というまつりがあるが(コロナにより2021年は中止)、この麦感とは直接関係はない。僕が感じているのは「ムギ感」。麦を感じるという点では共通しているかな? ともかく、義務からムギへ、2002年の夏を境に大きく変化していった。
ひとつ断っておくと、僕は義務感を悪いものだとは思っていない。義務を果たすことは人間にとって大事なこと。僕らは毎日、大小さまざまな義務を果たしながら社会人として生きている。義務を放棄してしまうと、社会人ではいられなくなる。義務感は必要なものといえる。
しかし、頭の中が義務感で占拠されると、非常に重苦しい状態となる。この重圧は何なのだろう? 2001年に受けた研修の中では「漬物石」にたとえられていた。僕はちょっと違うな、と思っていた。
ただ重いだけではない。僕にはそう感じられたのだ。数年後、遠軽町白滝でスロウの取材をしているとき、ハタと気がついた。取材先にあった石臼。これだ。2001年から02年にかけて、僕は石臼のようなものでゴリゴリ挽かれていたのかもしれない。
僕はそのとき、自分は一粒の麦でよいのだ……と思った。ちょっと大袈裟だが、そんな心境に至った。麦として収穫されたのであれば、あとは麦飯になるか小麦粉になるかのどちらか(他にも用途はあると思うが)。身を粉にして働いて、立派な小麦粉になろう。2007年の取材時には、すでに小麦粉的な仕事の仕方をしていた僕だが、その決意を新たにした。スロウ13号(2007年10月25日発行)の特集「噛みしめるパン」には、さまざまなエピソードが隠されている。
人は重苦しい義務感から逃れることは困難である。しかし、義務的に感じるものをむしろ積極的に受け入れ、身を粉にして働くことで味わい深い人生となる。自分は麦なのだ。そう思って石臼に挽かれて小麦粉になれば、ピザにも、お好み焼きにも、パンにもなれる。挽かれても焼かれてもどうということはない。そんな覚悟を持った生き方をしている人は強い。僕はまだ焼かれる覚悟が若干不足しているかもしれない。今は発酵が進みつつあるピザ生地といった状態だ。いつか石窯に入る時期がやってくるだろう。
変な例えで話を進めてしまった。だが、義務感を麦感に変えることで得られるものは多い。ぜひ、麦チェンをお勧めしたい。