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使える!ビジネス迷言・第18話「やりきらないとやりきれない」

使える!ビジネス迷言・第18話「やりきらないとやりきれない」

おはようございます。
 午前10時、K社訪問。10年ぶりか? 対応していただいたのは後継者。意外な偶然について話が及んだ。昼は帯広ロータリークラブにZOOM参加……と思ったら、つながらない。IDが変わったのか。諦める。午後は役員会の準備と事務的作業。4時、役員会。6時終了。

やりきらないとやりきれない

ネガティブなニュアンスの迷言になってしまった。もちろん、そういう意図ではない。要は「やりきる!」ということ。決意表明である。
 自分の人生の中でも、自社の社歴の中でも、やりきれないことは山のようにあった。我が社ばかりでなく、ほとんどの会社がそのような経験をしてきたに違いない。やることなすことすべてうまくいっているという会社はほとんどないはずだ(あるのかな?)。
 そうしたやりきれない結果に至った原因の多くは、「やりきらなかったこと」にあるだろう。やりきったが、やりきれない結果に至ったという事例もあるかもしれない。だが、僕はそのような事例を知らない。
 誰しも、やりきった経験とやりきらなかった経験の両方を持っているに違いない。やりきったならば、何かしらの成果をつかみ取ったはずだ。その成果は当初自分が思い描いていたものとは違っていたかもしれないが、別な何かを手にすることができる。我が社の社歴を見ても、「別な何か」を得ていることがわかる。
 一方、やりきらなかった経験から、僕らは教訓を得なければならない。実はやりきらなかった経験はやりきった経験よりも多い。僕はやりきることがすべてとは思っていない。見込みのないものには見切りをつけることが大切だ。したがって、やりきらなかったことがやりきったことよりも多くなるのは自然なことである。
 教訓にすべきなのは、「やりきるべきだったのにやりきらなかったこと」。その結果、やりきれない気持ちに至ったこと。この気持ちは二度と味わいたくない。そういう強烈な思いを当事者全員共有することができれば、次のチャンスに生かされることになる。
 ところが、やりきれない思いをさほど感じていない、という人が世の中にも我が社にも案外多いような気がする。バブル崩壊以降の日本は失敗の連続だった。失敗慣れしているのか、最初から多くを期待しないようになっているためか。「やりきって失敗する」よりも、「やりきらずに失敗する」ほうがダメージが少ない……と考えるためかもしれない。非常に危険な傾向である。
 結果は別として、「やりきる」という企業文化を定着させなければならない。それは学校教育でも家庭教育でも伝えにくいところだろう。職場の中で目標、計画を立て、それを着実に実践していく。目標には結果目標と行動目標がある。自分の立てた行動計画を100%以上実践する。それは本人のやる気があれば達成可能だ(無茶な計画でなければ)。一方、結果目標は本人のコントロール外の要素が絡んでくる。受注目標であれば、顧客の都合があるから達成できないことがある。逆に、行動量が80%程度でも幸運に恵まれて達成することもあるだろう。
 自分でコントロールできること。つまり、行動目標を100%以上やりきる。それを実践し続けた人は、いずれ結果がついてくるようになる。「やりきる」という人が多く集まっている会社は、当然ながら業績が向上する。
 「やりきる!」という企業文化をつくるには、何かしらの共通体験が必要なのだろう。やりきれない思いの共通体験と、やりきって成果を獲得した共通体験。単純なことかもしれない。みんなで一緒に、思い切り悔しがったり、喜んだりする。振り返ってみると、ここ数年、我が社にはそうした共通体験が不足していた。特にコロナ禍の1年半は、共通体験の機会がほとんどなかったに違いない。やりきる仕組みをいち早く築く必要がある。

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