
おはようございます。
午前9時過ぎ、芽室の愛菜屋へ。トウキビを買うならここだろう。知らない品種のトウキビがたくさんある。僕は甘みよりもつぶつぶ感を重視している。POPに「ほぐせる」と書いてある品種を選ぶ。10時半帰宅。早めの昼食。午後はパソコンに向かう。すべきことがたまっている。だが、原稿を書くことのできる状態ではない。こんなときは写真セレクト作業だ。4件分選ぶ。あとは調べ物を少々。気づくと夕方になっていた。
疲れるな、憑かれよ
前回の話「ガム中から無我夢中」の続きである。「無我夢中になるには、義務的と思える仕事を含め、とことん好きになること」と述べたが、とことんというレベルに高められる人とそうではない人とがいる。とことん好き……なつもり。そのレベルに留まっていて、そこから上へ突き抜けることができない。その結果、並レベルの仕事に終わったり、目標を立てても達成できずに期日を迎えてしまうのだ。
そういう残念な結果を僕自身何度も経験してきた。また、社内にも残念な結果を重ねる人がいるだろう。「とことん好き」だと自分では思っていても、それが偽りであったり、パワー不足だったりする。最初のうちは意気込んで行動するが、比較的早い段階でエネルギーが切れてしまい、次第に疲労感が増していく。
この疲労感というのが曲者だ。僕もそうだが、今感じている疲労感と得ている成果をつい見比べてしまうのだ。そうして、疲労感の割に成果が乏しいとなると、疲労感に徒労感が加わることとなる。これがエネルギー切れの最大要因といえるだろう。
肉体的疲労を感じること自体、人間として自然なこと。しかし、徒労感によってモチベーションが落ちることだけは、何としても避けたいところ。
いかなる状況であってもエネルギーが切れることなく、無我夢中というレベルで働き続けられる人がいる。そうした人には2つのタイプがいるのではないかと僕は考えている。
ひとつは理性能力が発達していて、中長期的な見通しを立てることのできる人。「投入した労力」と「得ている成果」との間にギャップがあるのは当然のこと。理性的にそう考えるタイプ。実際、どんなに努力しても無我夢中になっても、結果が得られるまでにはある程度の時間を要する。それが数週間のこともあれば、数ヵ月のこともある。場合によっては数年かかる。徒労感を感じやすい人は、数ヵ月程度で辛抱しきれなくなってしまう。今投入しちえるエネルギーのレベルを維持すれば、いつ頃から成果が得られるようになるのか? 正確な予測は困難だが、おおよそ見通しがつく。そういう人が社内にいると心強い。
もうひとつのタイプは疲労感を感じないタイプ。どうして疲れと無縁でいられるのか? 僕の観察するところ、疲れるのではなく、憑かれているのではないかと思われる。きっと何かが取り憑いている。そんな働き方をする人がごく稀にいる。憑かれるというと物の怪のように思われるだろうが、そういう恐ろしいものではない。たぶん、自分の中にいるもう一人の自分が取り憑いているのだろう。この場合の働き方は「無我夢中」というよりも「一心不乱」に近いような気がする。取り憑かれているから、他のことに気を取られるようなことはない。「投入した労力」と「得ている成果」を見比べて徒労感を感じている暇はないのだ。
どうすれば憑かれるのか(物の怪ではなく)、僕にはよくわからない。非日常体験をすることで、一時的に憑かれたような状態になることはある。取り憑かれても、憑かれたまま一生を終えるようなことはない。要はプロジェクト終了まで憑かれたように仕事に集中できればよい。そう都合よく憑かれることができるかどうか。だが、実際にそうした働き方をしている人を僕は何人か知っている。
