
おはようございます。
朝7時、T氏、Y氏とともに安平へ。取材は9時半から。取材場所は2ヵ所。11時からZOOM会議があるため、取材後半は編集者2名に任せる。僕は車の中で会議に参加。昼頃、取材終了。会議は12時20分まで。終わったときは車で移動中だった。昼食は南幌。5分でうどんを食べる。編集者2名をカフェに残して、僕は次の取材場所でK氏と合流。数カット撮影。45分後、カフェに戻る。3件目の取材場所は由仁。この建物は……。僕が小学校3年まで暮らした家に構造がよく似ている。壁の質感までそっくりだ。最後の取材は長沼。6時50分まで続く。自然光での撮影は困難となり、LEDライトを使うことにした。8時50分帰宅。
完璧に取材をこなした一日だった……と書きたいところだが、K氏に渡し忘れたものがあった。K氏も同じく僕に渡し忘れたものがあったらしい。取材時は取材・撮影に集中するため、それ以外のことはほぼ100%忘れる。これまで忘れなかったことはほぼない。
真空または飢餓状態の原稿執筆
「使える!ビジネス迷言」はここまで順調に24話まで進めてきました。持ちネタはたっぷりあると思っていたのですが、あと数話しか手持ちがない。予定通り49話まで書くことができるのか? ちょっと微妙な感じになってきました。
僕の原稿の書き方はちょっと変わっています。書いている途中で、必ずといってよいほど真空状態、または飢餓状態がやってくる。これはスロウの原稿を書いていても、単行本の原稿を書いていても同じ。「情報がない」と思えるような状況が訪れるのです。
この感覚、たぶんスロウの編集者にはわかってもらえそうにありません。なぜなら、昨日の編集者の取材の仕方を見ると「十分すぎるほど情報を入手している」からです。それはもちろんよいこと。僕の取材が門外漢的というか、素人レベルなのでしょう。「もういいかな」と勝手に判断してしまう。その結果、原稿を書く段階になって困ったことになるわけです。
しかし、よく考えてみると「困る」というプロセスが僕の原稿執筆では不可欠なんですね。人は困ったとき、2つのうちどちらかの行動をとるのではないかと思います。
ひとつは「尋ねる」という行動。編集者の多くは、たっぷり取材したにもかかわらず、「わからないところが出てきたら、電話かメールで問い合わせます」と言って取材を終える。これだけたくさん聞いたのに、と僕は毎回心の中で驚愕しています。もちろん、わからないことを教えてもらう。これは正しい問題解決法です。
もうひとつは、「自分で考える」。事実関係がわからなくなったならば、質問して回答をもらうしかありません。しかし、原稿を書いていてわからなくなるのは、たいていの場合、解釈の仕方であったり、哲学的、心情的にどういうことなのかということ。明確に答えることが困難なことが多い。取材相手の言葉を引き出すよりも、書き手の解釈やイメージを文章化すべきではないか、と僕は考えています。
書き手は困れば困るほど、深く考えることになります。取材相手がすべてを語ってくれていると、書き手はさらに深いレベルまで考えたり、イメージせねばなりません。それが可能な編集者、ライターはごく少数に違いない。「適正な取材量」の問題は人によって考え方に隔たりがありそうです。
僕が「真空」「飢餓」を足がかりに原稿を書くことができるのは、写真家としての視点があるからかもしれません。僕は視覚情報から意味を読み解こうとする傾向が強い。言葉の情報が不足していても、写真や映像の記憶からさまざまに解釈し、文章化できると考えています。実際、原稿を書いていると、「ちょっと情報不足かな」というほうが書きやすい。ただ、僕の取材法に欠陥があるためか、たいていの場合は「不足しすぎ」という状況になりやすい。ここがちょっとした弱点です。
