
おはようございます。
午前10時半、定例ミーティング。午後1時40分出社。2022年4月入社予定のIさんが来社していた。リアルで会うのはこれが初めて。コロナ禍ならではの就職活動&採用活動。M氏が社内を案内してくれた。帰宅後は原稿執筆と入稿作業。ようやくゴールが見えてきた。6時半、仕事を終える。
理由なきハンコ押し
コロナ禍で働き方は大きく変わった。帯広にいてもそう感じるのだから、大都市で働いている人ならなおさらだろう。
テレワークに関していえば、企業によってずいぶん差がある。対応可能な業種ばかりではない。また、テレワークによって生産性が高まった事例もあれば、下がってしまい元に戻した企業も少なくない。
ただ、着実に進んだのはペーパーレスとハンコ離れではなかろうか。一時期、認め印を押すためだけに出社することが問題となった。それだけのために出社している人がいることに僕は少し驚いた。東京なら、電車で1時間以上かけて出社している人が多いに違いない。そして、ハンコを押して帰宅するのだろうか? PDFにスタンプを押すだけでよさそうな気がする。
我が社でも社内文書のペーパーレスが進んだ。ネーム印をほとんど使わなくなった。今は自宅に宅配便が届いたときに押す程度である。これまで押印していた文書は、アドビ・アクロバットのスタンプを使って押すようになった。また、社内の各種届け出は大部分がキントーンのアプリに代わった。
「紙」という現物が存在しないことに対して抵抗感を感じる人もいるだろう。導入したばかりの頃、社内では軽い反発もあったのではないかと思う。しかし、その大半は「理由なき反抗」と言えよう。ジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」は1955年の作品。我が社の社員の大半はまだ生まれていない。映画を見たことのある人も少ないだろう。そのためか、すんなりペーパーレス&ハンコレスは社内に定着した。
しかし、よいことばかりではないのかもしれない。リアルなハンコ押しがなくなった結果、キントーンのアプリに提出すれば何でもOKという風潮になっているような気がする。理由は必要だが、上司にはある程度、反抗心(?)が必要だろう。リアルなハンコと電子ハンコ。押印には責任感が発生するが、両者の間には心理差が少なからずある。実印とネーム印ほどの違いはないにせよ、電子ハンコにも責任があることを自覚する必要がある。
印鑑について言えば、僕はもう一生分押したような気がする。2000年5月に入社してから数え切れないほど押印した。アプリに代わって一番助かっているのは僕かもしれない。だが、印鑑は凸版印刷の親戚のようなものなので、ハンコ離れが進みすぎるのはさみしい感じがする。
今、僕が頻繁に押しているのはゴム印である。住所印と日付印をよく使う。郵便物には住所印、いただいた名刺には日付印を押す。考えてみると、僕は昔からゴム印が好きだ。消しゴムハンコを作るほどではないが、子供の頃からナンバー印とスタンプ台を持っていた。1980年代にはスタンプランドという製品を購入して住所印を自作した。版を作成し、インキを紙に転写するのが好きなのだろう。印刷会社に入社することになったのも、自然なことと言えるのかもしれない。
それでも、世の中ではペーパーレス化とハンコレス化が進んでいく。「印刷」と「印鑑」、どちらも定義の変更、あるいは事業領域の拡大が必要な段階に来ている。印刷の定義変更はここ数年のうちに一気に進むことになるだろう。すでに無版印刷が当たり前になっている。また、3Dプリンターもプリント基板も「印刷」なのである。印刷は形を変えながら、社会の中でこれまで以上に広く使われるようになっていく。
ハンコ押しの理由は失われつつあるが、「今のままではいけない」という現状に対する反抗心を持ち続けなければならない。
