
おはようございます。
朝起きると、根室は霧に包まれていた。霧の風景を撮ろうと思ったが、出発した頃には消えかかっていた。撮影しながら中標津へ。目的地には昼頃到着。施設内にあるレストランで昼食。取材は午後1時から。取材は2度目となる。深く、そして刺激的な話の中身に引き込まれていった。話だけではなく、五感が刺激される場所でもあった。4時半頃取材終了。取材活動が体にどのように作用したのかわからないが、まったく眠気を感じることなく、帯広に戻る。7時40分帰宅。
“思ってなし”と“おもてなし”の差
自分のことだけで手一杯になることがある。自分のキャパシティを超えようとしている。気絶しそうなほど眠い……。そんなときに相談を持ちかけられたりすると、手っ取り早く回答しようとしてしまう自分がいる。相手はきっとこのような答を求めているに違いない。そう思われる答を頭の中で3つほどリストアップ。その中からもっとも妥当だと思われる答をチョイスして話したりする。
これはいけないパターンだ。真に相手のことを思っての言葉ではない。早くその場をまとめ上げて、自分のために時間を使いたいという意図が見え隠れしている。自分としてはそのつもりはないのだが、後から思い起こすと、そのような対応をしているケースが案外多い。気をつけなければならない。
相手のことを「思ってなし」というパターンとは反対に、とことん相手に付き合うという人もいる。それで半日くらい費やす人もいる。勤務時間の使い方としては問題なのだが、これで前向きな選択と行動を取り戻すことができるなら、必要な時間コストと考えられる。僕はつい結論を急いでしまうタイプだが、このような相手思いの人は貴重な人材といえる。僕も大いに見習わねばならない。
これが対お客様となると、企業イメージや業績に直結することとなる。つまり、自分が「思ってなし」なのか「おもてなし」の心を持っているのか? どちらか一方だけという人はまずいないだろう。どんな人にも「心を込めて対応したい」という気持ちがあるものだ。だが、心に余裕がないと心が込められないケースが多い。端からは暇そうに見える人であっても、本人としては忙しいと感じていたりする。「忙しい=心を亡くす」であるから、どんなにハードであっても「忙しい」と思うべきではない。「忙しい」の代わりに「充実している」「繁盛している」と考えるべきだ。そのようにリフレーミングできる人は、誰に対してもおもてなしができる。
「思ってなし」の心理的ポジションにあると、型どおりの商品・サービスを提案しようとする。顧客ニーズよりも自分の売りたい商品を勧めることになりやすい。「おもてなし」というポジションに立てば、顧客の真に望んでいること、あるいは顧客にとって本当に必要なものは何なのか、深く考えて提案するようになっていく。深く考え続ければ、夜寝ているときに夢に出てくることもある。夢という形で脳裏からひらめくのであるから、「おもてなし」は同時に「うらあり」なのかもしれない。
問題は「おもてなし」の心を強く持っている人は、どんどんハードになっていくことである。当然ながら仕事は「思ってなし」よりも「おもてなし」の人に集まる。どこかで限界を超えてしまうのではないか。そのようにも思える。
ただ、最近感じることは、「おもてなし」の人のまわりには、同じような「おもてなし」タイプの人が集まる傾向にあるということ。そうしたお客様に恵まれて、極めて良好な仕事ができるケースも少なくない。
かつては、仕事といえば商品・サービスを「提供する立場」と「受け取る立場」が固定化していた。今もサービス提供者と顧客というそれぞれの立場は存在するのだが、その役割は変わりつつある。立場の違いを超えて、「いいものを一緒につくろう」というプロジェクトが増えている。その結果、お互いが「おもてなし」の心を持つようになっているのではないか? バブル崩壊から30年経って、仕事のあり方が大きく変わりつつあるような気がする。