
おはようございます。
朝は中同協の企業変革支援プログラム改訂プロジェクト・カテゴリーⅡの項目見直し作業。10時半、ようやくまとまった。続いて、同窓会報の校正作業。午後は社内報原稿。4時頃、担当者に送ることができた。さらに、ストックフォトから写真選び。軽く画質調整してから担当編集者に送る。4時半からは中小企業家同友会とかち支部HPのための原稿作成。5時40分夕食。7時、帯広経営研究会総会&8月例会。改めて、可能思考研修の意義について考えさせられた。9時終了。9時20分には熟睡状態になっていた。
必要なのは感性の一貫性
ある先輩経営者から、「10年に一度は感性トレーニングが必要だ」という話を聞いたことがある。感性を引き出すにはさまざまな方法があると思う。ここでの感性トレーニングは、おもに研修を指す。僕も何度か感性トレーニングのための研修を受講してきた。
今朝、目が覚めて10分ほど経ったとき、突然ある結論に至った。僕らに必要なのは「理性の一貫性」よりも「感性の一貫性」だったのだ! 頭のどこかではずっと以前からわかっていたことかもしれない。けれども、今朝、僕は初めてそう認識した。実はこれまで、理性ばかり体裁を整えようとしてきたところがあったのだ。
「一貫性がない」と指摘されるのは、企業経営者にとっては致命的な一撃である。僕自身は、人間である以上、「ゆらぎ」とか「若干の矛盾」があるのは当然のことと考えている。しかし、ゆらぎや若干の許容範囲は人によって大きく異なる。わずかなゆらぎであっても、鋭く指摘しようとする人もいる。ゆらいでいるのは事実であるから、指摘されれば認めるほかない。そうした指摘または攻撃を受けないよう、理性的な面から一貫性を保とうとする。理論武装というほどではないが、きちんと説明できるようにしておくことは大切に違いない。
だが、理性に偏りすぎると、当然ながら弊害も現れてくる。「本当にこれでよいのだろうか」という疑念が頭の中に立ちこめる。今やっていることは、自分が心からやりたいことなのだろうか? あるいは、日々の仕事の中で自分はどれほど充足感が得られているのだろうか?
そう考えていくと、感性の面では、実は一貫性が弱いのではないかという気がしてくるのだ。必要だからやむを得ず行っている。そのような活動が案外多いのかもしれない。ただ、消極的な関わり方をするのはよくないという理性的判断から、積極的に振る舞おうとしている自分がいるのではないか? そんな疑念が次々浮上してくる。
感性とは「物事を心に深く感じ取る働き」あるいは「外界からの刺激を受け止める感覚的能力」とされる。感性論哲学では「意志を実現し、愛を実現する」のが感性の基本原理であるという。自分の心の働きや感覚的能力が弱まると、当然ながら一貫性は失われていくことになるだろう。言い換えれば、意志や愛の力が弱まっているというわけだ。
感性トレーニングは日常生活の中でも可能だろう。僕は風景撮影の中で感性を取り戻そうとする傾向がある。多くの人は、人との語らいの中で感性を豊かにしようと試みているだろう。あるいは仕事そのものも感性トレーニングの場となり得る。僕にとっては取材活動が感性トレーニングの場だ。
こうして日々インプットしたものを静かに振り返ってみる時間が僕らには必要だ。特別な場を設けなくとも、内観の時間を持つことで感性は豊かになっていくはずだ。
企業経営者や管理職にある人は、強いプレッシャーの中で感性の一貫性が損なわれることがあるに違いない。理性と感性のバランスが崩れることもあるだろう。やはり「10年に一度の感性トレーニング」が必要なのかもしれない。
