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リフレーミング90 長考と休息

リフレーミング90 長考と休息

おはようございます。
 朝6時45分、音更のアグリアリーナへ。中小企業家同友会とかち支部農業経営部会の収穫感謝祭会場。7時、準備作業に集まった人たちにより朝礼が行われた。僕は朝礼のみ参加。7時半帰宅。朝食。10時頃からブログを書き始めたものの、言葉がうまくつながっていかない。2日連続だ。何とか投稿を終える。休養日にしようと決める。昼頃、再び収穫感謝祭の会場へ。チケットを収穫物のセットと引き換える。ドライブスルー方式。その後、スーパーで買い物。食材は十分すぎるほど揃ったが、料理づくりには至らず、ひたすら休養。読書とテレビで一日を終える。

「下手の考え休みに似たり」について

昨年はコロナ禍により中止となった収穫感謝祭ですが、今年は感染対策を講じながら、ドリームセット+ドライブスルー方式での開催。リスクや制約がある中でもできる方法を考える。リスクの程度がイメージしにくかった昨年に比べ、今年はどうすれば開催可能か、ある程度わかるようになってきました。それにより、復活したイベントがいくつかあります。
 ただ、感染拡大は依然続いています。中止という判断もありでしょう。何が正解なのかが即断しにくい。主催者がどのように考えるかによって開催か否かが決まります。収穫感謝祭のような屋外+ドライブスルーであれば、リスクはほとんどないといってよい。実際、「客」として会場に戻って商品を受け取りに行きましたが、まったくリスクは感じませんでした。よく準備されており、待ち時間もほとんどなし。さすがは農業経営部会です。
 今、僕らに求められているのは「できる方法を考える」ということではないでしょうか。通常通りのイベントが開催できないのであれば、どうすれば可能か考える。経営環境が変わって、従来の商品が売れないのであれば、どんな商品なら売れるのかを考える。売り方が変わったのであれば、新たな販売方法、営業方法を考える。
 いずれにせよ、考えるところからすべてが始まります。現状はどうなっているのか、何が問題なのか、どうすればよいのか考える。考えても、簡単に答が見つからないことも多いのですが、考えなければ道は開けてこない。
 子供の頃(たぶん小学生)、父と将棋をすることがありました。回数はさほど多くはない。数回程度だったと思います。僕は基本的には負けず嫌いであるため、劣勢になると必然的に長考していました。そうなると、決まって「下手の考え休むに似たり」と言われたものです。半分は子供相手に将棋を指すのに飽きていたのだと思います。もう半分は、僕の考える力を推し量っていたのでしょう。「休むに似たり」と言われ続けても、僕は相変わらず長考していました。
 容易に答の出ない問題に対して長考する。それは大人になっても変わることはありません。ただ、子供時代に比べると考える項目がやたら多い。ここが子供と大人の違い。長考していると、他のすべての事柄について考えることができなくなり、即断即決することとなる。即断してよい事柄と長考すべき事柄を振り分ける必要があります。この振り分けを間違えると、文字通り「下手の考え休むに似たり」ということになる。
 研修や本の中で出てくる言葉に「やり甲斐の領域」というものがあります。人は簡単にできることにも、100%不可能なことにも動機づけされることはない。できるかどうかわからないことに対して、やり甲斐を感じるもの。長考すべきテーマは、このやり甲斐の領域の中にある。実現の可能性が0%または100%のものは即断即決。考えるべき時間はその中間ゾーンに充てるべきでしょう。その中でも「実現の可能性は現時点では低いものの、自分・自社が挑戦する価値のあるもの」について、大いに時間をかけて考えるべきではないかと思います。
 これから2022年にかけては、時間の使い方が非常に重要となってきます。考えが浮かばないときは、文字通り「休む」のが最善の選択と言えそうです。

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