
おはようございます。
午前8時半、朝礼。9時、スロウ編集部のミーティング。僕は最初の15分間だけ参加。9時25分出社。すでにお客様が来ていた。出版についての話。いくつか、アイデアが生まれた。10時半からは面接。11時半、帰宅。午後1時半、某プロジェクトのミーティング。実用化目前という段階だが、いくつか不都合な点があるようだ。僕はR社のシステムになぜこんな欠陥(といっても小さなものだが)があるのか、おもしろいと思った。4時、別件のミーティング。合間にいくつか仕事をしようと思ったが、さほど進まなかった。
今日から「偶然とその前後」というテーマで36回程度書いてみようと思う。おもしろいものになるかどうかはわからない。たぶん、怪しげな話になるに違いない。
誤解・錯覚・勘違い
思い込みはときに強力なパワーを生み出す。何となくわかっていたことだが、そのことをハッキリ認識したのは、2005年、東京で数名の同業者と飲んでいたときのことだった。
「私、思い込みが激しいのよね」とTさんがサラリと言ってのけた。それは肯定的でも否定的でもなく、自分を客観視しているような口調だった。
思い込みが激しいのに、自分を客観視している。一見矛盾しているようにも思えるが、企業経営者にはこうしたタイプの人が多いと思う。思い込み力を自分の活動のエネルギー源のひとつにしているのだ。その時期、Tさんの会社は絶好調であり、確かに思い込み力がプラスに作用していたと思われる。
僕はその会話の数年後、思い込み力を3つに分解して考えるようになっていた。いったんは「思い込み力強化戦略」と命名。しかし、これはちょっと危険かもしれない。思い込み力は自分の理性によって、ほどよくコントロールされていなければならない。そうわかったのは、2015年頃のこと。
思い込み力の3大要素は、僕の考えるところ、「誤解」「錯覚」「勘違い」である。きっとこれ以外にもあるだろうし、この3つは似たもののように思える。だが、僕は自分の経験と照合しながら、3つに分けて考えた。
誤解とは「間違って解釈すること」である。しかし、人生において何が正解で何が間違いなのかはわからない。ある時点では間違いであっても、その後の展開で「実は正解だった」ということがしょっちゅう起こる。したがって、自分の将来につながる誤解は人生にプラスとなる。僕の場合は、高校1年生のとき「自分は写真の天才に違いない」と誤解した。その10数年後、何となく天才とは違うということがわかったのだが、僕にとっては幸運な誤解だった。写真のおかげで人生が豊かになった。
錯覚とは「実際とは違って見えてしまうこと」である。僕は写真を撮り続けてきたため、ありふれたものが美しく見えたり、困った出来事の中から意味を見いだそうとする傾向にある。その結果、さらに困ったことになることも多い。しかし、人よりも困ったことの多い人生というのは、ある意味豊かであると言ってよいのではないか。僕の中ではまだ結論の出ない問題。晩年には結論が明らかになっているに違いない。
最後は勘違い。これは「間違って思い込むこと」。思い込み力の核となる部分である。「勘違い=悪いこと」と捉えるべきではない。勘違いから始まって、偉人になるケースもきっと多いはず。僕の知り合いにもそういうタイプの人がいる。実は僕にも勘違いしていた時期があったが、理性が勝っていたためか勘違いによる思い込み力は長続きしなかった。勘違いの時期が10年くらい続いたなら、もっと違った人生になっていたかもしれない。とても危険だが、魅力的でもある。
人生にリスクはつきもの。誤解、錯覚、勘違いはリスクを増幅させるものではあるが、上手に活用できれば人生を好転させる推進力となり得る。とりわけ、クリエイティブ系の人や起業家タイプの人には必要ではないかと思われる。ただし、どこかに安全装置を備えるべきだろう。思い込み力を強化しすぎるのは危険。周囲からの助言に耳を傾ける素直さ、謙虚さが求められる。
