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偶然とその前後03 雰囲気と名前

偶然とその前後03 雰囲気と名前

おはようございます。
 午前10時、I社訪問。その後、急遽更別へ行くこととなった。帰宅したのは午後1時。4時、役員会。6時過ぎ、来客。東京から移住してきたMさんご夫妻。引っ越し先は驚くほど我が家に近い。おもしろいことになりそうだ。

雰囲気と名前

新卒・中途を問わず、我が社に入社する人には何らかの縁を感じている。一体、どのようなつながりがあるのだろうか。僕はたまに考えることがある。
 過去から現在まで、我が社に在籍したことのある人たちを思い浮かべると、ある傾向があるように思えてくる。それは「醸し出す雰囲気」が誰かに似ているというところ。雰囲気だけで採否を決めることはないが、結果として誰かに似ているということが多い。これは我が社ばかりでなく、他社にもある程度は当てはまるのではなかろうか? その会社の社風に合った人が社員になる。それが自然であるような気がする。
 雰囲気の近い人が新たに加わり、社風はさらにその会社らしくなっていく。社風を変えたい場合は、あえて異なる雰囲気の人を採用することがある。実際、社風の一部が変わる。雰囲気という捉えどころのないものをどのように扱うのか? そこが案外重要ではないかと思う。
 あるとき、僕は「醸し出す雰囲気」以外のつながりに気づくこととなった。もうだいぶ前の話。名前が似ているという事実に気づいたのだった。気づくという以前の問題かな? フルネームが一文字違いという人が3組も現れたのだった。面接のとき、その事実に気づいたのはひとりだけ。あとの2名は入社した後になって驚いた。自分の自由にはならない自分の名前ではあるが、僕はそこに何かがあるのではないか、と考えるようになった。
 自分の名前は物心ついたときから、ずっと自分とともにある。好き嫌いを超越し、自分と一体化している。たとえ自分の名前が気に入らなくとも、誰かから名前を呼ばれたら、自分であることに同意しなければならない。したがって、自分の人生は自分の名前から大なり小なり影響を受けているのではないか、と思うことがある。
 そんなことを考えながら、3組の社員・元社員の名前について考えてみると……。一文字違いなのに、全然似ていない。むしろ、対極にあると言ってよい。僕の仮説はやっぱり怪しいものであることが判明した。僕はどこかに共通項があるはずだと考えていたのだ。
 しかし、さらに考え続けてみる。もしかすると、そこに「もう一人の自分」を投影させることができるのかもしれない。ネットで自分の名前を検索すると、同姓同名の人が出てくることがある。それは自分の「もう一つの人生」でもあるように思えてくる。子供の頃からの無数の意思決定によって今の自分がある。人生の岐路において、いくつか異なる意思決定をしてきたら、自分の人生は別なものになっていたかもしれない。そうなると、能力も性格も醸し出す雰囲気も、異なるものとなっていただろう。
 人は、自分→家族→知り合い→他人という具合に、近いところから遠いところまでさまざまな距離感で人物を捉えている。それが何かをきっかけに、急に近く感じたり、遠く感じるようになったりする。僕は写真的に物事を捉える習慣があるため、醸し出す雰囲気によって人との距離感を意識する傾向にある。雰囲気とも関連があるが、その人の表情を自分の頭の中のデータベースと照合して距離を測定していることが多い。
 その考えは少し改めるべきかもしれないな。「近い」「似ている」という安心感から新しいものは生まれにくい。異質な考えを持つ、異質な人物と近い関係になる必要があるのではないか。我が社に今必要なものの一つは社風改革であるに違いない。守るべき「その会社らしさ」もあるが、一方では「らしくない活動」があってよい。「らしい」と「らしくない」が混ざり合って、新たな社風が形成されていくような気がする。

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