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偶然とその前後10 得体の知れない情熱

偶然とその前後10 得体の知れない情熱

おはようございます。
 午前8時出発。10時半、厚真の待ち合わせ場所に到着。ここから最初の取材先に案内していただく。さらに車を乗り換え、撮影場所へ。天気もよく、思い通りの写真を撮ることができた。昼食は取材テーマと関係のある店でいただいた。かなりのボリューム。午後の取材は恵庭。不織布のフード付きつなぎ防護服を着ての撮影。つなぎを着るのは久しぶりだな。撮影しやすい被写体だった。30分ほどで撮影は終わり、M氏による取材。3時半頃、一連の取材が完了した。
 このまま帯広に戻ってもよいのだが、苫小牧に気になる被写体があった。まだ間に合う。そう思って車を走らせる。何度も通ったことのある道に、その被写体は静かに立っていた。感慨深い気持ちになるが、どんな感慨だかわからぬまま撮影を終える。7時半、帰宅。2日連続の日帰り取材を何とか乗り切った。

得体の知れない情熱

10年くらい前までは、2日連続はおろか、取材が数珠つなぎになる時期があった。それも、出発時刻は4時とか5時である。時間を有効に使うには出発は早いほうがよい。僕は編集者に無理を言って、さらに時間を早め、風景撮影の時間に充てることが多かった。編集者もイベント感(?)のようなものを感じたためか、早朝出発に乗り気だった。一番早かったのは朝1時半。これは人によっては深夜の領域だろう。
 今もたまに朝5時出発ということもあるが、常時早朝出発していた10年前とはずいぶん様相が変わった。無理をすると、取材から戻った翌日が使い物にならない。最悪の場合、原稿執筆予定が1日遅れる。そうして、無理なスケジュールを避けるようになった結果、全体の取材本数が減っていることに気がついた。当然である。別なフォトグラファーが担当したり、編集者自ら撮るようになる。それはそれで自然なことだ。
 気にかかるのは、創刊当時から10年くらい前まで確かにあった「得体の知れない情熱」のようなものを誰が受け継いでいるか、というところである。もちろん、僕にも前編集長のM氏にもある。今も確かにあるのだが、フィジカルにそれを表現することが困難になってきた。若手の人や編集部に入ったばかりという人の場合、表層的なところから影響を受けやすい。したがって、楽なスケジュールを組むと、楽で楽しい取材ということになってしまうかもしれない。
 いやいや、疑ってはいけないな。サミュエル・ウルマンが「人は疑惑と共に老ゆる」と言っているように、理想、信念、自信、情熱、希望といった心を持つことが大切だ。スロウ編集部は新編集長となり、半年が経過した。創刊期と同じ道を歩む必要はない。理念を継ぐと同時に、創刊当時にあった「得体の知れない情熱」をどこかに持ち続けてくれているに違いない。
 これはスロウばかりではなく、月刊しゅんにも同じことが当てはまる。しゅんの場合、2009年頃まで「得体の知れない情熱」が確かに存在した。その数年前にはもっと不思議な、異常とも言える盛り上がりがあった。僕も駆り出され、深夜、おにぎりを握って編集部に差し入れたこともあった。働き方改革が進めている今では許されないが、こうした訳のわからない盛り上がりを体験した人はラッキーと言えるかもしれない。
 今の若手、中堅の人たちは、もっと別な形で「得体の知れない情熱」を表現する必要があるだろう。それが理性的なものなのか、わかりやすい情熱なのかは不明だ。
 今は機が熟している。タイミングとしては、今から2023年9月までだろう。ピークを迎えるのは2022年夏ではないかと僕は予想している。最近起こっているさまざまな出来事を解釈すると、明らかにそういうタイムスケジュールになっているのだ。これからどのように展開していくのかはおおよそ決まっている。そこに力を集中させるためには、20代、30代の人たちが「得体の知れない情熱」を解き放つ必要がある。

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