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偶然とその前後14 アナログ人とデジタル人

偶然とその前後14 アナログ人とデジタル人

おはようございます。
 午前中は「北海道 来たるべき未来を見つめて」の原稿執筆。9時半頃、本文を書き上げる。インデザインに流し込む。文字数はほぼピッタリ。インデザイン上でキャプション、見出しを書き入れる。入稿はもうすぐ。1点、撮影すべきものがあるだけ。11時からは「記憶の中の風景」。フォトショップで画質調整し、インデザインに配置していく。午後2時20分、出社。2時半、クナウマガジンのミーティングと来期に向けての説明会。3時半からはデジタルラボ。4時半帰宅。いくつか事務的作業。

アナログ人とデジタル人

この光景、どこかで見たことがある。昨日は少し不思議な気分に包まれた。デジタルラボの説明会の中で、短時間ではあるが、僕は1990年代のパソコン事情の話をしていた。単なる昔話。フォトショップでひとつのアクションを実行すると30分くらいかかったという他愛のない話。今は動作が速い上、さまざまなツールが揃っている。恵まれた状況にある。今の時代に生きていることを幸運と思って活躍してほしいというメッセージだ。
 心境まではわからないが、これに近い光景を僕は21年前に見ている。そのときは、たぶん1970~80年代の電算写植、ワープロ、PC98の話だったと思う。話していたのは先代(父)。印刷業界を取り巻く環境の変化は20年前からすでに始まっていた(つまり1980年頃)。そうしたメッセージをみんなに伝えたかったのだと思う。
 僕の想像では、その変化に何とか食らいついてはいるものの、自分が先頭を走ることができないもどかしさも感じていたはずだ。2000年当時のビジネス誌、業界紙には「社長は全体をわかっていればよい」とか「大事なのは何をしたいかである」といったことが書かれていた。確かにその通りなのだが、アナログな人とデジタルな人とでは、使っている言葉が違う。アナログ人である経営者は「やりたいことがちゃんと伝わらない」と嘆き、デジタル人は「技術的課題を理解してもらえない」と嘆く。そういうギャップは20年前にもあった。コミュニケーションギャップが業態変革のスピードを遅らせた。
 当時のN専務は僕を指して「副社長(当時)はデジタルに明るい人だから……」と言っていた。僕は一瞬、ぎょっとして固まった。なぜなら、僕はDTPについてはある程度使いこなしていたが、全然デジタルには明るくなかったからである。研修ではXMLの話が出てきたが、僕にはまったく興味が湧かなかった。
 20年前と今日を比べ、ひとつ大きく違っていると感じることがある。僕個人としては「いよいよ来たか」という思いである。何が来たのか? それはフィルムカメラがデジタルカメラに変わったときの状況に少し似ている。あるいは手書き原稿だったものがワープロで書くようになったときの状況にも近い。
 デジタルが少しだけわかりやすいもの、親しみやすいものになったということである。1980年代、ワープロの普及により、文章を書くというハードルはずいぶん下がっていった。2000年代、デジカメが普及し、誰でも簡単にきれいな写真を撮ることができるようになった。今、また同じような状況がやってきつつあるような気がする。誰でも気軽にアプリを開発できるようになった。そう言い切るにはまだ早いが、その方向へ進んでいるという実感がある。
 これにより、アナログ人のまま、デジタルツールを使いこなすことが可能になるのかもしれない。デジタル人はアナログに近づいていく人と、さらに技術を高めて超デジタルになっていく人とに分かれていくだろう。
 写真のデジタル化は写真の裾野を広げることとなった。そのことにより、恩恵を受けたフォトグラファーも多かったに違いない。誰もがデジタルツールを使いこなせるようになったからといって、デジタル人が生存領域を脅かされることはたぶんないと思う。活用方法を広く伝える人になるか、より高度な技術を身につければよいだけのことだ。

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