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偶然とその前後15 エピソードと伝説

偶然とその前後15 エピソードと伝説

おはようございます。
 朝のうちに撮影1カット。あとは入稿作業に全力を注ぐ。10時過ぎ、「北海道 来たるべき未来を見つめて」を入稿。続いて、「記憶の中の風景」の画質調整と短い原稿。午後2時頃、無事入稿。昼にはメモリアルな会が少人数で行われた。4時、同友会関係のZOOMミーティング。5時からは10月開催予定のオンラインイベント設営作業。初めて、Peatixというイベント管理サービスを使った。比較的わかりやすいのだが、少し手間取った。それでも1時間ほどで設定できた。すぐさま反応があって、今朝確認したらチケットが4枚売れていた。

エピソードと伝説

長く勤めていると、記憶に残るユニークなエピソードがいくつかできるものである。僕の場合、小規模なものは「エピソード」、大規模なものは「伝説」として分類している。考えると、エピソードも伝説も、その人単独では起こりにくいもののようだ。昨日、何人かで話していて、そのことに気がついた。その人のエピソードは自分のエピソードとつながっている。昨日出てきた話は、エピソードというより「事件」に近いものだったが、僕の中では10年に一度起こる微笑ましい出来事という位置づけだ。次に起こる可能性が高いのは2023年。どんな形で起こるのか、予想がつかない。
 それはともかく、エピソードや伝説が起こるには何らかの伏線があるような気がしている。たとえば、誰かにせかされたり心理的プレッシャーを与えられると、忘れ物をしたり、ちょっとした事故を起こす。これは誰もが経験することだろう。経験したことがないという人は、おそらくプレッシャーを与えられる人ではなく、与える一方の人であるに違いない。
 伏線は他にもある。世の中が大きく動いているようなとき。2020~21年、たぶん来年もそうだろう。多くの人が世の中全体から心理的プレッシャーを与えられている。それにより、プラスマイナス両面からエピソードや伝説が起こる可能性が高い。
 エピソードと伝説は、僕の場合、規模感の違いによって区別しているのだが、案外伝説よりもエピソードのほうが人々の間で共有されているものである。20年以上ひとつの会社に勤めていると、実にさまざまなエピソードに巡り会うこととなる。笑えるものが多いが、真剣に考えるとちょっと恐いものもある。人間味のある人ほどエピソードをいっぱい持っているような気がする。
 一方、伝説のほうはというと、実は案外共有されていない。それは「知らない」ということではなく、積極的に語る機会が少ないためかもしれない。たびたび起こるわけではないが、10年くらい勤めている人ならば、社内で起こった奇跡的と思える出来事に気づいているのではないかと思う。また、一人ひとりにも「個人的な伝説」がある。僕は大袈裟なタイプなので「伝説」という言い方をするが、みんな何かしらのブレイクスルー体験を持っているのではないか。しかし、そうした伝説を真っ正面から語り始めると、雑談では終わらなくなる。その結果、エピソードは語られるが、伝説はしまい込まれることになりやすい。
 僕はこれまで2度ほど、伝説の文章化に取り組んだが、残念ながら中途半端な状態のまま、ハードディスクの片隅に保存されている。一冊の本にまとめるのが目標。だが、文章が書きかけのままになっているのには、何か理由がありそうだ。伝説が未完のままになっている。そう結論づけた。20年経った今も、現在進行形で続けられている。決着が付くまでには2年くらいかかるかもしれない。
 会社には語り部が必要と言われる。語り部が語るのはエピソードよりも伝説についてである。そのためには、ひとつの伝説を完結させなければならない。みんな伝説を生み出している当事者なのだ、という意識を共有する必要がある。

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