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偶然とその前後16 熱中と冷静

偶然とその前後16 熱中と冷静

おはようございます。
 午前中は事務的作業を少々。午後は大量のスキャニング。30年くらい前の作品。173点もあった。スキャンのやり直しを含めると、200回以上スキャニングしている。いつか発見があった。と同時に、スキャニングそのものは単純作業であるため、いろいろ考えることができた。また、昨日は4×5のネガをチェックした。こちらもデジタル化しておきたい。

熱中と冷静

1980年代、僕はかなり写真にのめり込んでいた。1985年3月までは学生だったから、のめり込むのは当然である。写真中心の毎日を過ごしていた。就活すらまったくせず、ひたすら写真を撮る、フィルム現像する、暗室にこもる、の3つを繰り返していた。娯楽的な活動はほぼ皆無だった(記憶がないだけかもしれないが)。飲むと、何かしらの議論をしていた。
 1985年4月から90年までは、社会人として仕事をしながら、写真活動を続けた。仕事の変わり目にちょっとしたブランクの時期があって、そこではずいぶん写真を撮った。写真に対するのめり込み具合は80年代前半とほとんど変わらない、むしろ、異様なほど熱中するものを感じていた。1988年、社会人になって初めて個展を開催した。昨日スキャニングしたものの約4割は当時のものだ。
 1990年代前半も写真中心の日々は続いた。仕事はハードになったが、ほぼ年1回ペースで個展を開催した。1995年以降は雑誌、広告以外の仕事の比重が高まった。写真中心から仕事中心になった。暗室作業時間を確保できず、フィルム現像を外注するようになった。さらに、ブローニーや4×5のネガをデジタル化してピクトログラフィーでプリント(出力)した。暗室作業をするたびに腰痛に悩まされてきたから、僕はデジタル化を比較的すんなり受け入れた。だが、ピクトロに否定的な人も多かったと思う。
 1980~90年代の作品を何点か自宅に飾っているが、それぞれ味わい深いものがある(自画自賛で恐縮だが)。ピクトログラフィーの作品はさすがに退色が目立つ。やはり、暗室で適切に処理した印画紙とは違いがある。鑑賞に堪えられないレベルになったら、プリントし直す必要がありそうだ。
 それはともかく、30年前に経験した写真に対する異様な熱中を改めて思い起こすべきだと思った。20年前にも自社の改革に対して異様なほど熱中した。何をどうしたらよいかわからなかったが、勉強に熱中した。10年前にも熱中の波があった。だが、小さな波で終わったためか、自己改革には至らなかったような気がする。
 さらに10年経過した今年は、変革のチャンスといえる。写真に対して異様なほど熱中できるのだから、他の分野に対しても不可能ではない。写真的アプローチを試みればよいだけの話である。実際、僕は写真的アプローチによって、ある程度文章力を高めることができた。
 写真的アプローチによって企業経営ができるほど、経営は単純なものではない。だが、商品展開といった部分的なところでは、写真の経験を生かすことができると考えている。
 決定的に写真と経営が異なる点は、自己完結型で創作活動をする写真に対し、企業経営は組織をまとめる必要があるというところである。自立した人々の集団であればやりやすいが、能力、人格レベルの異なる人々が集まって組織を構成しているため、さまざまな問題が発生しやすい。
 ここ10年ほど、僕は熱中するよりも、冷静に観察する時間が長くなっていた。ここにちょっとした反省がある。熱中しながら冷静さを保つようにしなければならない。考えてみると、それは写真的アプローチ法以外の何物でもない。結局、僕は写真から一生離れることはなさそうだ。もっと大きな熱量が必要だ。熱中すればするほど冷静に全体像を捉えることができる。それが写真的アプローチだ。

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