
おはようございます。
午前8時、M氏とともに出発。最初の目的地は網走。途中で少しだけ風景撮影。昼頃到着。ここで撮影の予定だったが、知床連山は雲に隠れている。買い物のみ。次の目的地は斜里。プレ取材的なものだったが、ある程度撮影することができた。実際の取材は来年になる予定。午後2時過ぎ、この日のメインとなる取材先に到着。何度も訪れている場所。新たな取り組みによる作品を撮影することができた。6時、北見の宿に到着。
偶然を平然と受け入れる人々
最初の目的地だった網走の店で買い物をしていると、不思議なことが起こりました。A氏がやってきたのです。マスクをしてたこともあって、僕はしばらくの間、誰だか気づかなかった。M氏はすぐにわかったようですが、僕は5秒くらいタイムラグがありました。
すごい偶然。そういえば数日前、スロウに載っているこの店に行きたいと話していたことを思い出しました。日時がピタリと重なっただけなのでしょう。それにしても、遠く離れた網走で遭遇するのはかなりレアに違いありません。
同じような出来事が10年ちょっと前にもありました。このときの場所は能取岬。厳寒の中で撮影していると、Y氏はじめ数名が「やあやあ」という感じで近づいてきたのでした。やはり僕は何が起こっているのか、しばらく理解できませんでした。ここにいるはずのない人物が現実に目の前に立っている。ここがどこなのか、あるいはこれは現実なのか、一瞬わからなくなってしまうのです。
数秒経つと「そういうこともあるな」と気づくわけですが、この数秒間の自分の思考の動きがおもしろい。「この人見たことがある。誰だっけ?」と頭の中の人物データベースと照合しているのです。よく見慣れている人物だというのに。当社社員でも一瞬わからなくなる。マスク姿だともっとわからなくなりますね。
改めて考えてみると、取材をしていると、こういう場面に出くわすのは、さほど不思議ではないのかもしれません。我が社の社員が偶然やってくるとビックリしますが、取材中に偶然知人がやってくるというケースは年数回程度あるものです。大半の場合は取材で知り合った人たち。17年もスロウの取材活動をしていますから、遭遇する頻度は年々高まっていくことになるのかもしれません。
15年間東京に住んでいたときは、ばったり遭遇するということはたぶん一度もありませんでした(偶然目撃されていたことはあった)。同じ西荻窪に住んでいる人たちと会うこともなかった。行動領域がほとんど重なっていなかったのかもしれません。
北海道は面積としては広いのですが、価値観の近い人たちと大勢知り合うようになると、行きたい場所、出入りする空間が重なり合うようになる。その結果、偶然出会う確率が高まる。きっと、そういうことなのでしょう。僕はまだビックリすることが多いのですが、このような偶然を当たり前のように受け入れている人たちが少なくありません。こんなすごい偶然が起こっているというのに、再開した瞬間から平然と会話している、という光景を僕は何度も見たことがあります。
東京でも何かしらのコミュニティの一員になると、こうした光景はめずらしいものではなくなるのかもしれません。北海道の場合は、数100キロ離れた場所での偶然の遭遇。それをごく自然に喜び合うことができる。ひとつの豊かな生き方といえそうです。また、道内各地に取材を通じて知り合った人たちがいるというのも貴重なこと。この仕事にありがたみを感じているところです。