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偶然とその前後17 秋の味わい

偶然とその前後17 秋の味わい

おはようございます。
 北見の宿は混んでいた。3連休。人が動いているようだ。北見市郊外で写真を撮ってから、最初の目的地に向かう。スロウ次号用の撮影。「機が熟した」と言うよりも「木が熟した」というべきか。今が撮り頃という風景になっていた。午後も撮影がメイン。時間に余裕があったので、太陽の丘えんがる公園虹のひろばコスモス園に立ち寄ってみる。コスモスはまさに見頃。だが、閉まっている。後で聞いてみたら、緊急事態宣言延長により、平日のみ開園しているとのこと。遠巻きにコスモスの写真を撮る。後半の取材は1時から。日差しは強いが、風景はすっかり秋だ。思い描いていた通りの被写体。1時間余り撮影。3時頃帰途につく。急速に眠気がやってきた。途中で仮眠。6時過ぎ帰宅。

秋の味わい

「好きな季節は?」と問われると、多くの人は春とか夏などと答えるだろう。特に北海道ではその傾向が強いと思われる。すでに日が短くなっているから、「また冬がやってくるのか」などと、ちょっと重い気持ちになっている人もいるかもしれない。
 僕は晩秋が一番好きなのだが、今頃の季節もいいものだな、と思えるようになってきた。花には見頃がある。だが、見頃がいつなのかを決めるのは自分自身。満開の頃が見頃とは限らない。花びらが散った後、あるいはカサカサになってもしがみついているところ。このあたりに美しさや味わいを感じることが多い。
 これは僕が年をとってきたからではない。20代の頃からそうだった。1988年に「再生」というタイトルで個展を開催したが、その頃は秋冬になると盛り上がるものを感じて、精力的に撮影した。被写体は葉っぱの落ちた広葉樹の枝ぶりだった。葉が落ちて、枝がどのように伸びているのかがよくわかる。隣の木との葛藤、あるいは棲み分けのようなものに気づく。生命力にあふれている季節とは異なるおもしろみがある。
 僕が花を撮るようになったのは、スロウの取材で必要に迫られたためだった。撮ってみるとおもしろい。単に美しいだけではなく、そこの植物としての生存戦略や生命の不思議さを感じることとなった。どの季節に撮ってもおもしろいのだが、一番は散り始めからすっかり散ってしまった頃。雑誌掲載用としては不向きなのだが、個人的にはこのあたりが興味深い。
 同じ種類の花でも個体差があるため、まだ力強く咲いているものもあれば、早々と散っていくものもある。数種類の草花が混在しているところでは、それが複雑な美しさをつくりだす。春や夏に比べ、秋の風景には深みがある。それは植物のつくりだす色彩が複雑であるからに他ならない。
 そして、僕はいつもの通り、自分をはじめとする人間全般にその事実が当てはまるのではないか、と考えてしまうのである。ある程度人生経験を積むと、複雑な味わいについてわかるようになり、複雑な味を好むようになるものだ。「美しい」と感じるものも、20代と50代以降の人とでは幾分異なる。もちろん、ずっと何10年も好きであり続けるものもあるが、新たに好きだと思えるものは、ちょっと複雑でわかりにくいものであることが多い。
 人間の行動や表現の中にも、ちょっとわかりにくいものがある。企業の事業活動の中にも、消費者はおろか、当事者にもわかりにくい活動が含まれているに違いない。僕が入社した頃、会社の3階で定期的にある趣味のサークルが開かれていて、これは何のための活動なのか、僕にはよく理解できなかった。今はよくわかる。僕も若手社員にはわかりにくい活動をいくつも行っている。
 そんなことをあれこれ考えていると、27歳のときの個展「再生」というタイトルに、何か自分でも気づかなかった意図があるように思えてくる。どのような意味なのか、33年たった今、ようやく理解できるようになってきたような気がする。

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