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偶然とその前後20 偶然は重なる

偶然とその前後20 偶然は重なる

おはようございます。
 午前中は経営指針とプレゼン資料作成。午後2時45分、撮影1カット。3時、ミーティング。4時出社。来客。経営指針委員会関係のミーティング。5時20分、とかち館。5時半、中小企業家同友会とかち支部四役会。6時、幹事会。7時終了。今月の幹事会はイレギュラーな形での開催となった。7時15分帰宅。

偶然は重なる

たぶん僕だけではなく、多くの人が感じていることに違いない。「偶然は重なるもの」。そんな経験が実に豊富にある。過去に起こった偶然の重なりを分析すれば、そこに何か発見があるのではないか? 昨日ふとそう思ったのだが、どんな偶然が続けざまに起こったのか、ちゃんと覚えている事例が少ない。ノートに書き留めておけばよかった……。これを20代の頃から行っていたら、僕の人生の質はもう少し高められたのかもしれない。
 それはともかく、偶然の重なり方には2つのパターンがあると考えられる。ひとつは、「泣きっ面に蜂」と思えるような重なり方。これは気をつけないと、どんどん連鎖的に重なっていく。マイナスの解釈力が強化されていると、このようなパターンになるのかもしれない。どのような出来事に対しても、その中からプラス面を見いだすことが重要だ。小さなプラス面を最大限拡大解釈して、よい方向へ向けて努力する。それが人間にもっとも求められる能力のひとつではないかと思う。
 もうひとつの偶然の重なり方として、「好ましい偶然と困った偶然がバランスよく起こる」というパターンがある。ただ、この比率は1:1ではないようだ。たぶん個人差があるのではないか? 僕の場合、1:2くらいの比率になっているような気がする。1:10のように思えることもある。好ましい偶然が起こる確率は、困った偶然よりも少ない。そう感じるのは、不安遺伝子を持つ人の多い日本人的な感じ方によるものだろう。ただ、確率は低いにせよ、辛抱強く努力を継続すれば、必ずよいことが起こるという感覚を持っていることが大切だと考えている。そうすると、実際にそれが起こる。
 さらに考えを進めていくと、比率が何対何になるのかは、自分のそのときの心のあり方によって決まってくるのではないかという結論に至る。何となく、よいことが起こりそう。そんな感覚を持っていると、そのような偶然に出合う確率が高まる。「悪い予感が……」などと、うっかり口にすると、やはりその通りの出来事がやってくる。これも多くの人が経験していることに違いない。
 言葉というものは本当に不思議なもので、自分の口にした通りの出来事が起こりやすい。さらに言えば、口にしなくても、心の中で思った通りのことも起こりやすいと考えるべきだろう。そうすると、残された道はひとつしかない。プラス思考であったり、常に肯定的に物事を解釈する力が僕らには必要だ。どのような出来事があっても、その中からプラス要素を発見する。これは20年近く前に僕が学んだこと。それがどういうことなのか、ハッキリわかったのは可能思考研修を受講したときのことだった。
 困った偶然の中には好ましい要素も実は含まれている。また、好ましい偶然の中にも困った要素が実は存在する。そう結論づけられる。ただ単に、自分が好ましい、好ましくないと区別しているだけなのかもしれない。僕らに突きつけられる現実、あるいは偶然には、「本当に困ったもの」と思われる出来事が存在する。個人レベルでも企業レベルでも国家レベルでも起こる。地球レベルで言えば、温暖化や環境破壊、国際紛争といったものになるだろう。その中から「好ましい要素」を発見するのはほぼ不可能ともいえるのだが、少なくとも「将来につながる何か」を見いださねばならない。国家レベル、地球レベルでは難度が高すぎるが、個人レベル、企業レベルでは可能であるはずだ。
 「好ましい偶然」も、実は連鎖的に起こることがある。この発生メカニズムがわかっていればよいのだが、僕には何ともいえない。ただ、この現象も20年に一度起こると考えられる。

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