
おはようございます。
昨夜は中小企業家同友会とかち支部事務所で、経営指針研究会第2講が行われました。テーマは「同友会らしい経営指針とは? 労使見解を学ぶ」。社労士でとかち支部副支部長でもある嶋谷耕治氏から労使見解についての報告(講演)。続いて、グループ討議。嶋谷氏の話にはリアルなものがあって、労働争議を知らない若手経営者にとってもインパクトのある内容だったのではないかと思います。中小企業家同友会設立の経緯についても、よくわかる講義でした。
対等とは厳しいもの
「労使見解」(中小企業における労使関係の見解)については、僕の過去のブログや著書「激訳・経営指針成文化」の中で述べているので、ここでは割愛させていただきます。
毎回のようにディスカッションの題材となるのは、「対等」という言葉。僕が加わったAグループは、みんな僕よりもひとまわり以上若い経営者。ですから、「経営者と社員は対等」といっても異を唱える人はいませんでした。
むしろ、「対等」という価値観をどのように捉えるべきか? あるいはどのように実際の業務の中に織り込んでいくかというところに、みんなの関心があったのではないかと思います。僕自身、どうすれば「対等」のレベルを上げていくことができるだろうか……といつも考えています。
嶋谷氏の話の中にもあった通り、「契約は双方対等な立場で取り交わされるもの」。労使関係は契約によって成立していますから、対等であることは疑いない。
その一方で、「労使見解」の中にも書かれているように、「企業の労働時間内では経営権の下における管理機構や、業務指示の系統は従業員にとって尊重されるべきもの」でもあります。
40年以上前に発表された「労使見解」ですが、この根本的なところは今も変わることはありません。そして、労使(本当はこの言葉は好きではないんですが)双方の意識レベルを高めていかないと、不信感が増長し、対立リスクが高まることにもなりかねない。
僕がソーゴー印刷に入社して18年になりますが、僕の仕事の最重要部分は「対等という価値観を社内に定着させること」にあったのではないかと考えています。
もともと我が社には「対等」という精神が存在してきました(僕はそう信じている)。けれども、「対等」という言葉の捉え方には、当然ながら個人差があるものです。「対等なのだから誰にでもタメ口をきく」といった低レベルな対等観(?)を持った人はいないでしょうが、「対等であること」と「指示命令系統」をちゃんと理解している人ばかりとは限りません。また、「対等であること」を部分的なものとして捉えている人も、案外多いのではないかと想像しています。
「労使見解」の話からは少し外れますが、我が社にとっての「対等」とは「職場におけるハイレベルな人間関係」と考えるべきでしょう。
たとえば、親子という関係は人間同士という点では対等かもしれません。けれども、子供が小さいうちは、親は子供を守ったり、教育する義務があるわけです。だから、意識の上では対等にはなり得ない。
職場において「対等な関係」を築くには、一人ひとりが自立していて、プロとしての職務遂行能力を持っている必要がある。同時に、社会人としてふさわしい人間性を備えていなければならない。社会人になりたての新入社員の場合は例外的に1年間だけ許されると思いますが、2年目からはやはり自立し、社会人としての人間力を持っていることが求められる。
ですから、「対等な関係」というのは、ある種の厳しさを含んだ言葉なのではないかと僕は理解しています。
そうした厳しさについて薄々感づいている人の中には、対等であることを微妙に(巧妙に?)避けようとする人も出てきます。我が社の中にはほとんどいないと思いますが、「自分は指示されたことだけをやります」といったタイプの人。
業種によってはそうした働き方が求められる会社もあるでしょうが、我が社には向いていません。「指示されていないことはやらない」という宣言でもありますから、上司はいちいち業務を指示しなければならないことになってしまう。それが常態化すると、対等ではなく、主従関係に変質していくことになるでしょう。
「対等な人間関係のほうがよい」と多くの人は漠然と考えていますが、対等であることは、社員にとっても経営者にとっても、簡単なことではありません。社員は、常に自分の能力をプロレベルに保ち続けなければならない。経営者には指示・命令によってではなく、理念や方針を示しながら企業文化を向上させていくことが求められる。
対等ではない職場の場合は、「指示・命令する人」と「従う人」に分かれていますから、管理しやすい、統制をとりやすいということになるわけです。一方、「対等な関係」を定着させようとすると、社内のほぼすべての人にさまざまな葛藤が生じることとなる。まあ、深刻に考えることではありませんが、「成長したくない、勉強したくない」というタイプの人にとっては、居心地の悪い会社に思えるでしょう。
僕の目指すところは、全員とは言わないまでも「経営マインド」を持った人で社内が満たされていくことです。少なくとも、自分の人生は自分で経営していかなければなりません。たとえ部分的にではあっても、経営マインドはすべての人に必要なもの。
「決算書を読む」とか「経営戦略を練る」といったことではなく、「会社全体をよりよくしていくためにどうすればよいか」について、我が事として考えることのできる人。平たく言えば、それが経営マインドです。自分の勤める会社を「自分の人生の重要な一部」として考えられる人が会社には求められます。おそらく、どの会社にとってもそうした経営マインドを持つ人が必要でしょう。
これは個人の能力とか社内教育制度といったものではどうすることもできない問題なんですね。僕の考えでは、このことを「超契約関係」と呼んでいます。このテーマについては、改めて書くことにします。
