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偶然とその前後35 似ている

偶然とその前後35 似ている

おはようございます。
 ほぼ休日。1時間だけ、名刺の整理をする。昼頃、郵便局と買い物。あとは自宅でくつろぐ。窓から庭の景色を見て、「晩秋だね」とM氏が言った。ぼくは「播州50」というお酒を思い出した。東京時代、S社のS氏が差し入れを持ってくるとき、決まって「銀盤 播州50」(日本酒)かチオビタドリンクだったのだ。どうでもよい昔の出来事を思い出すのは老化したためか。近年、記憶力と忘却力のブレ幅が激しいと感じる。

似ている

ソーゴー印刷の人たちを見ていると「自分と似ている」と感じることが実に多い。
 素晴らしい活躍をしたときにはさほど感じない。反対に、「ここでこんなヘマをするのか?」と思うような場面で、「自分と似ている」と感じてしまうのである。だから、僕はどうしても誰かを責めるような気持ちにはならない。自分で言うのも変な話だが、温厚な性格と言える。根底に「自分と似ている」と感じやすい性格があるからではないかと自己分析している。当然、自分で自分を責めることもあるが、最終的には自分を許すことになる。そうなることがわかっているから、誰にも腹を立てないし、人を責めることがないのだろう。
 自分がある人に腹を立てるのは、その人の中に自分と同じものを感じるからである……といった話が、過去に受けた研修の中にあった。「そこまで拡大解釈してよいものだろうか」と思った。僕の中ではまだ答の出ていない問題である。だが、よくよく考えると、人は「自分の考えと違う」と思って、葛藤や対立、最悪の場合は戦争にまで至る。そうした場面では、自分も相手もほぼ同時に「相手が間違っている」と感じている。考えそのものは違うのだが、違うことに対する感じ方は似ているのかもしれない。
 初対面同士の人が集まったとき、アイスブレイク(緊張を解きほぐす手法)が行われることがある。よく使われるのは「共通点探し」。お互いの共通点を探して、ホワイトボードや紙に書いていくというゲーム。数多くの共通点を見つけることで打ち解けていき、親近感が増していく。
 似ている、または同じと感じるものを数多く発見することで、相手との心理的距離感は縮まっていく。人間は長所と短所、半々でできているから、短所を隠そうとすると、距離は半分だけしか縮まらないだろう。長所と短所、両方を見せることが重要となる。賢い人や余裕で仕事ができてしまう人の場合、この点がちょっとした落とし穴になるのではないか。あるいは、自己防衛本能が強く作用する人の場合も人との距離が縮みにくい。
 会社組織のよいところは、自分の弱みをさらけ出すことのできる場面が数多く用意されていることである。隠そうと思っても、にじみ出るその人の短所。短所の表出は一時的には困った現象となるが、中長期的には組織の形成に役立つ思う。しかし残念なことに、コロナ禍が2年続き、人とのコミュニケーション量は減少している。対面で話をしてもマスク着用のため表情が見えにくい。リアル会議も増えたが、依然としてオンラインを多用している。オンライン会議では僕の微妙な感じのダジャレが伝わりにくい。自然と、正論を発言する回数が増えた。正論は人の反発を招きやすいから、注意して発言する必要がある。
 リアルでもオンラインでも、みんなもっと「共通点探し」を熱心に行うことが望ましい。「自分はあの人とは違う」と思い込むところから、心理的な壁が築かれていく。アメリカの経済学者チェスター・バーナードは、組織の3要素として「共通目的」「協働意志」「コミュニケーション」を示した。違っていると思っても、違うのはやり方だけであって、目的は社内で全員一致している。そうでなければ、組織の一員とはいえない。
 一番大きな共通点である「目的」を確認、共有したならば、それ以外の共通項は比較的探しやすい。壁があるとすれば、それは自分の中にあると考えるべきではないか。自分の中にある壁は幻想に過ぎない。「似ている」と思った瞬間、消えてなくなるものである。

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