おはようございます。
休日として過ごす。仕事をしたのは朝の1時間ほど。電子書籍を2冊読んだ。というより、耳から聞いた。Siriの読み上げ速度をふだんの2倍速から1.5倍速に落としてみた。僕にはちょうどよい速度のようだ。聞き逃すまいと過度に緊張することもなく、また眠くなることもなかった。
「意外な客人」がもたらした影響
20年前の夏、僕は絶不調だった。人生最大のピンチ。それでも夜になるとちゃんと眠り、朝になるとちゃんと目覚めることができた。僕はそんな自分の特異な体質に感謝していた。
大ピンチのまま毎朝出社していると、意外な人が意外な客人を連れてきた。「意外な人」は東京時代に得意先だった出版社の人。一緒に仕事をしていた頃は、十勝出身の人とは知らなかった。たぶん、数回タイアップ広告の仕事をしたと記憶している。一方、「意外な客人」はまったくの初対面。なぜ一緒に来たのか、よくわからない。よくわからないまま、夜、平和園本店で一緒に焼肉を食べていた。
話題は多岐に及んだが、その中のひとつに研修があった。僕はほとんど瞬間的に受講することを決めていた。9月に受講し、その後の3年間は絶えず2つの研修を同時受講していた。自分の生活はやけにハードな状態となったが、人生最大のピンチは乗り越えようとしていた。
今考えても不思議なのは、「意外な客人」とは2回だけしか会っていないことだった。焼肉を食べた後、会ったのはたった一度だけ。こちらから連絡することもなく、先方からの連絡もなかった。あまりにも接点が少なかったためか、「人生の恩人」と思うようになったのは、ずいぶん後になってからのことだった。気づいたときには、連絡先もわからなくなっていた。僕はこの件に関しては本当に恩知らずな人間だった。ただ、今思うと「意外な客人」も僕からのコンタクトは望んでいなかったことだろう。平和園本店1階個室の映像とジンギスカン(並)の味がやけに鮮明に思い出される。僕の人生の七不思議のひとつだ。
ほとんど「点」でしかない人間関係であっても、その後の人生に多大な影響を与えてくれるような出会いがある。それはまったくの偶然なのか、それとも自分で招いているのか、はたまた必然なのだろうか……と考えることがある。
僕は「助からないと思っても助かって居る」という座右の銘を持っているためか、どんなピンチの中にも打開策があると信じている。20年前の僕はあまりにも未熟だった。だから、「これが打開策のひとつですよ」と目の前に提示されて、初めて「これだ!」と気づくことができた。
それからも何度かピンチはあった。だが、20年前ほど親切に打開策を提示されるような場面がやってくるはずはなかった。親切に提示してもらえたのは「初回サービス」だったのだろう。打開策や小さなきっかけは、すでに目の前にある。「これですよ」と示されるのではなく、自分で見つける必要があるのだ。誰かが手を伸ばしてくれるのを待っているのではなく、目の前にある枝でも藁でも自分でつかみ取らなければならない。
自分にとって都合のよい偶然がタイミングよくやってくるとは考えないほうがよいだろう。しかし、偶然はどこにでも存在している。わかりやすい形で提示されているかどうかだけの違いだ。いかなる状況にあっても、肯定的で積極的な打開策を見いだそうとしているかどうか。そうした習慣を身につけた人は運に恵まれていく。
昨日読んだ(正確には「聴いた」)本の一冊は、エニアグラムに関するものだった。タイプによってアプローチ法は異なるもの。原則は変わらないものの、ちょっとした心の持ち方や行動の仕方によって、好ましい偶然をたぐり寄せることができるのではないかと思った。