おはようございます。
午前10時半、道の駅ピア21しほろで開催中の「スロウなお買い物展 in Winter」へ。4日間のうちの最終日。商品はかなり少なくなっていた。僕はカエルカップを購入。午後1時帰宅。昼食後は休日として過ごす。夕方、1本だけ短い原稿を書く。
「ジョハリの窓」で読み解く
僕は勘違いしていました。「スロウなお買い物展」は今回で3回目だと思っていたのですが、実は4回目とのこと。今年3月、丸井今井札幌本店で開催された「スロウ村、春の贈り物展」が1回目という位置づけになるらしい。2回目は7月のMakura Showcase(幕別町)。3回目は10月、大丸札幌店で開催しています。
場所もシチュエーションもそれぞれ異なっている点が興味深い。売上はともかく、場所によって売れる商品の傾向にどのような違いがあるのか? データをとるために開催しているわけではないと思いますが、ここは関係者にとって気になるところ。さらに言うと、イベント「スロウ村の仲間たち」と比較してどんな違いがあるのだろうか? 生産者や作家さんが対面で販売するのと、スロウ編集者が販売するのとでは、売れ方に違いがあるのではなかろうか? いくつもの「?」が出てきますね。
スロウの編集者はスロウ本誌を隅々まで読み込んでいることと思います。したがって、自分が取材した記事以外のこともよく知っている。たぶん、詳しい商品説明ができるはず。これが自分の担当した記事ともなると、かなり奥深い情報を持っているに違いありません。取材は一度限りではなく、何度も訪ねたりしますから、旧作から新作まで知っていることが多い。もしかすると、作家本人の知らない側面に気づいていたりする。
これを「ジョハリの窓」に当てはめてみると、案外おもしろいのではないでしょうか(そう感じるのは僕だけかもしれませんが)。
ジョハリの窓では「開放の窓」「秘密の窓」「盲点の窓」「未知の窓」の4つに分類します。商品の魅力や価値を作り手自ら知っていて、さらに編集者もその魅力・価値に気づいている。それが「開放の窓」。これに対し、作り手は知っているのだが、他人はそのことに気づいていないという状態は「秘密の窓」。僕の写真や文章にも「秘密の窓」があります。興味深いポイントではあるものの、経済活動では「売れない」という困った状況に陥ります。
経済活動として、僕が一番可能性を感じているのは「盲点の窓」。作り手が自覚していない商品・作品の魅力。そこに編集者が気づいた、知ってしまったというケース。本人が気づいていないような作品の魅力、あるいはその人そのものの魅力に編集者が気づき、記事にすることができれば「盲目の窓」が「開放の窓」に変わるかもしれません。過去、そのようにして売上が増えた、多くの人々に知られるようになった、人生そのものが変わった……。そんなケースがいくつかありました。
スロウの取材活動は、言い換えてみれば「盲点の窓」を見つけることと言ってよいのかもしれません。決して、めずらしいもの、高級なもの、高評価を得ているものを記事として紹介しているわけではありません。編集者それぞれの目線で「自分がいいと思ったもの」を見つけて記事にする。そこに存在するのは、取材対象と自分(編集者)だけ。第三者の評価は関係ありません。取材を通じて気づいた「盲点の窓」に編集者はと心きめくものを感じつつ、記事を書くことになるのです。
最後に残る「未知の窓」は、その人の可能性や潜在能力といったもの。新しいことにチャレンジするうちに、顕在化し、別な「窓」へ移行していきます。作り手のチャレンジ精神を高めるのは「盲点の窓」の存在に気づかされたときではないでしょうか? 自分にはこんな価値があった。そう気づいたとき、モチベーションが一気に高まる。我が社、あるいは僕自身も、誰かに気づかせてもらうことがあります。雑誌の仕事、そして「スロウなお買い物展」のようなイベントは、「盲点の窓」を「開放の窓」に変える試みといってよいのかもしれません。