
おはようございます。
午前8時20分出社。8時半、20名超が参加する会議。9時10分終了。Y氏とともに豊頃へ。10時から取材。数年ぶりに訪れる場所。12時45分頃取材終了。朝日堂でドーナッツを購入。1時半、豊頃町役場。Y氏は打ち合わせ、僕は車の中でノートPCを開く。3時半帰宅。4時、役員会。6時終了。電話でタクシーを呼ぼうとしたが、時間がかかりそう。あきらめて車でふじもりへ。6時半、とかち機構理事会、望年会。夜の帯広中心街はほどほどに賑わっていた。だが、コロナ前に比べると人はまだ少ない。2年前とは大きく状況が異なっている。僕は年内にあと5回忘年会の予定が入っている。コロナ前とほぼ同じ回数。オミクロン株が広がらなければコロナ前に近づいていくのではないか? 10時50分頃帰宅。
全自動コーヒーメーカーとネルドリップ
最近、僕は本について話題が及ぶと必ず電子書籍について尋ねてみるようにしている。電子書籍で本を読んでいるという人は少ない。年代はさほど関係ない。20代の人であっても紙の本が好きなようだ。これは印刷会社にとっても書店にとってもよいことだ。だが、どこかの時点で状況が一変してしまわないだろうか、と僕は危惧している。
デジタル競争力ランキングで日本は28位(2021年)。この遅れを取り戻そうと、国はかなり急ピッチでデジタル化やDX化を推し進めようとするに違いない。タブレットを使ったデジタル教科書も普及し始めている。2024年にはデジタル教科書100%になるというのは本当なのだろうか? 教科書がデジタルになれば、自然と電子書籍が読まれるようになるに違いない。「電子書籍」という言葉自体、不要になる日がやってくるのかもしれない。
だが、やはり紙の本は「物質として存在する」という安心感と特別感がある。「電子書籍はWEBサイトの情報とどこが違うのか?」と質問されたことがあった。構成が本の体裁になっているかどうかだけの違いなのかもしれない。ましてや、PDFの文書は電子書籍とほとんど大差ない。デザインを工夫すれば、ほぼ電子書籍である。
僕が得た結論は、どちらか一方がすぐれているのではない、どちらも必要であるということだった。電子書籍が普及しても紙の本はなくならない。だが、電子書籍のシェアが高まることは避けられないだろう。その分、紙の本には情報だけではない特別な価値が求められる。書棚に収めておきたいと思わせるような本。
コーヒーにたとえるなら、全自動でボタンを押すだけのコーヒーメーカーで淹れたコーヒーとネルドリップのコーヒーの違いだろうか。わざわざ手間暇かけて淹れた一杯のコーヒー。同じ豆を使っても味わいが異なる。それと同じように、同じコンテンツであっても、電子書籍と紙の本とではどこか違いがあるのかもしれない。
僕は通常ビジネス書しか読まないから、全自動コーヒーメーカーの味わいで何の不自由もない。一方、心の豊かさを求めてページをめくりながら読書を楽しみたいというニーズもある。そうした読書スタイルが廃れることはたぶんないだろう。僕も今の仕事を引退するようになったら、そうした読書スタイルになるのかもしれない。また、僕らはそうしたニーズに応えられるような良質な本をつくらねばならない。
電子書籍が普及すればするほど、凝った装丁の本が増えていくのではないかと思う。すでに書籍の雑貨化が進んでいる。書棚に収めるというよりも、部屋の中で飾られていたりする。僕の書斎にそのような本は一冊もないが、雑貨的な本をつくってみたいと思うことがある。そんな写真集があるといい。
紙の本に求められる機能はこれから大きく変わっていくに違いない。19世紀、写真術が広がったことによって絵画の世界が大きく変わっていった。それと同じような変化が今後起こっていくのではないか? 今はイノベーター理論におけるアーリーアダプターが電子書籍を受け入れているという段階。いずれアーリーマジョリティが追随することになるはずだ。それまでに本の作り手である僕らは、態勢を整えておく必要がある。
