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紙の本と電子書籍20 書き手を増やす

紙の本と電子書籍20 書き手を増やす

おはようございます。
 午前8時半、朝礼。デジタルラボの部門発表。9時出社。個人面談。10時、S社T氏来社。午後は自宅で事務的作業。3時、企業変革支援プログラム改訂プロジェクト・リーダー会議。5時15分終了。5時半、同友会事務所でミーティング。6時40分帰宅。

書き手を増やす

2021年の紙の出版物の推定販売金額は、前年比1%減の見通しであることが出版科学研究所の調査でわかった。雑誌は休刊が相次いだことにより、4%減の5300億円。一方、書籍は2%増の6700億円。紙の書籍は15年ぶりにプラスとなる模様だ。
 紙の雑誌は右肩下がり、紙の書籍はほぼ横ばい。電子書籍は右肩上がり。この傾向がしばらく続いていくに違いない。この2年はコロナ禍という特殊な状況にあったため、今後どうなっていくのかは予測しにくい。しかし、紙の本の販売は苦戦しそうだ。一本調子に紙離れが進んでいくとは考えにくいが、紙の本はもっと付加価値を高めていく必要がある。モノとしての存在価値を高めるか、電子媒体との連携(QR、AR)によって価値を高めるかのいずれかだろう。
 今朝になって、別な角度から出版事業について考えてみた。
 ほとんどの人は「本は読むもの」と決め込んでいる。そう決めつけてよいのだろうか? たとえば、料理。レストランで食べることもあれば、自分でつくることもある。料理を味わう側と提供する側、どちらにもなれる。同様に、写真を撮ることも撮られることもある。立場は絶えず入れ替わる。
 それが普通だと思うのだが、なぜか本に関しては「著者」と「読者」に区別されてしまっている。読者が著者になることは滅多にない。本は読み物ではあるが、「自分は読み手である」という固定観念を崩すことが大事なのではないか?
 我が社ではたぶん40年くらい前から自費出版(とりわけ自分史)事業に力を入れてきた。商業出版とは異なり、プロではない書き手が自分の本を出版する。これは非日常体験であると同時に、出版に対する固定観念を崩すための活動でもある。その気になれば、著者になることができる。一部の出版関係の人は自費出版を軽視する傾向にあるが、そんなことはない。損得勘定抜きに出版された自費出版物の中には、商業出版とは異なる価値を持つものが数多く存在するのだ。
 一冊の本を書くためには、本を読む必要がある。自分の頭の中にある情報だけで本を書き上げることもあるが、情報の裏付けを求めたり、別な角度から考えるために、案外多くの本を読むこととなる。
 大学で卒論を書いている人は、多くの参考文献を読むことになるはずだ。僕は写真学科だったので卒論を書いたことはないが、長文を書くために幅広く情報をインプットするという経験は貴重なものだ。これを卒業前年の非日常体験に留めるのではなく、自分の新たな習慣として採り入れる人が増えてもよいのではないかと僕は考えている。社会人になっても、論文を書けばよい。学生時代だけの研究、論文にどれほど価値があるのか……と思ってしまう。
 卒論を書き上げる力を持っている人は、きっと6万字程度の本(文庫1冊分)を執筆できるに違いない。社会人になる前には読み手であり、書き手でもあった自分が「読む専門」となっているのは残念なことである。
 読書文化を発展させていくには、読むことだけを呼びかけても限界があるのではないか? 書く楽しみをもっと伝える必要がある。出版は紙の本でも電子書籍でも構わない。1990年代以降、DTPの時代となり、紙の本の製造コストはずいぶん低くなった。そして、今は電子書籍で誰もが本を出せるようになっている(技術的課題はあるが)。書き手が増えることで、新たな読書文化、出版文化が開花していくに違いない。

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