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偶然とその前後57 いつもの正月

偶然とその前後57 いつもの正月

おはようございます。
 引き続き、「2022年の年頭にあたって」を作成。画像を選び、インデザインに配置。キャプションを書く。ここで、僕は毎年のように見込み違いをする。本文が完成しているため、画像の配置とキャプションはすぐにできるのではないか、と考えてしまうのだ。結局、完成したのは午後5時過ぎ。5時半出社。会社にはS氏がいた。僕のノートPCはオルフィスとつながっていない。たぶん会社に誰かいるだろうという僕の読みは当たった。S氏のPCから人数分を出力。6時15分、同友会事務所へ。6時半、中小企業家同友会とかち支部四役会。9時半帰宅。

いつもの正月

毎年、同じところでつまずき、同じパターンで作業を終える。この年中行事を僕はいつまで続けることになるのだろう? ただ、年末年始、集中的にインプットとアウトプットをするおかげで、だいたいどのような1年になるのか見通すことができる。1年前の「年頭にあたって」を読み返すと、その通りになっている。ただし、予想通りなのは外部環境変化に関する事柄。残念ながら、内部環境については予想外の出来事が多い。
 それはともかく、「年頭にあたって」の作成・出力が間に合わなかったことは、過去一度もない。当然である。1日遅れれば、意味をなさないからだ。デッドラインは文字通り「死線」であるから、何があっても間に合わせる。これまでを振り返ると、かなり危うい状況で作成した年があった。フェリーの中で少し気持ち悪くなりながら書いた年もあった。2年前は年末年始を台湾で過ごしたため、無理矢理前倒しで作成した。
 今年は、インプットの時間をギリギリまで確保したため、ハイペースで書くこととなった。こざね法もホワイトボードもWorkflowyも使わなかった。年末わざわざホワイトボードを購入したというのに。おかげで僕の書斎にはホワートボードが大小合わせ6面ある。きっと別な場面で活躍してくれるに違いない。
 デッドラインがデッドラインであるとわかっていれば、間に合わないということはあり得ない。この一線を越えれば、大変なことになる。「大変なこと」どういうものかを知っていれば、わざわざ大変な結果に至る道を選択する人はいない。
 しかし、「デッドラインを知らない」または「大変なこと」をイメージできないという人の場合、うっかりデッドラインを越えてしまうことがある。そういう場面を何度か見てきた。これはいつの時代にも、どのような場所にも、そういう人がたまにいる。通常であれば、ちょっとした予兆を感知したり、種々の情報を敏感にキャッチしていれば対応できるもの。しかし、感性が鈍るとうっかり飛び越しそうになる。
 僕も30年以上前に越えそうになったことがあった。このときは、京都から東京までの長距離バスの中で原稿を書くこととなった。疲労困憊で原稿を書くことはときどきあるが、歴代ダントツでナンバーワンの困憊ぶりだったと思う。そして、「二度と危ない橋は渡るまい」と心に誓う。だが、20代の頃の誓いというものは実に軽い。「このくらいなら危なくないだろう」と思って、ギリギリまでデッドラインに迫る。さしずめ、独りチキンレースといったところか。もちろん、レースに勝者はいない。ただ自分が追い詰められるだけである。
 ただ、毎年ギリギリ感を味わいつつ執筆するのには、確かな理由があると思っている。それは本気で考え、本気で書かねばと思っているからだ。それは、「仕事は計画通りに進めるものだ」と考えている人には理解しにくいところ。
 もちろん、通常の仕事は計画通りに進めるべきなのだが、原稿の場合は少し違う(違わない人もいる)。デッドラインが目視できるところまで迫ってきて、残り数時間のうちに書き上げねばならない……。そんなときには、大脳の特別な回路に信号が走る。突如、道が開ける(大袈裟な書き方だが)。急に言葉があふれ出すことが実際に起こる。そのようにして書いた文章には特別な何かがあるような気がする。毎回このように書くため、僕はつい「計画通りにならないのが計画通りなのだ」と思ってしまう。社内のみんなにはお勧めできない原稿の作り方だ。

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