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偶然とその前後58 30年周期と420年周期

偶然とその前後58 30年周期と420年周期

おはようございます。
 朝4時10分からプレゼンデータをつくりはじめる。本来は前日に行っておくべき作業なのだが、それ以上に眠かった。3時間かかってようやく完成した。パワポからPDFに変換。8時出社。PCとプロジェクターの準備。僕のPCはプロジェクター、T氏のPCはモニターにつないだ。2箇所に映し出す。ZOOMでの参加者は3名。「2022年の年頭にあたって」を配布。それとは別に用意したデータを映し出しながら、45分程度年頭の話をする。今年は椅子を並べたから、話が長くなって貧血で座り込むという人はいない。10時帰宅。11時頃、ミーティング。午後、原稿に取りかかろうとするが、なかなか進まない。5時半、ノースランド。帯広ロータリークラブの安全祈願祭。6時から新年交礼会。8時半帰宅。

30年周期と420年周期

2022年はどんな年か? 安全祈願祭の中で、「壬寅」「参宿」が重なった年という話があった。辛く厳しい冬が終わり、暖かい春が来る。そんな内容だったと思う。干支と二十八宿は420年周期になっているそうだ。前回の「壬寅」「参宿」は1602年。江戸幕府が誕生する前年。何か意味がありそうな気がする。だが、深入りするといろいろ調べて時間を費やしてしまうに違いない。積極果敢にチャレンジする年。そう結論づけることにする。
 仕事始めの話をしながら、僕は「果たして歴史は繰り返すのだろうか」といったことを考えていた。僕が今現在考えていることは先代も考えていた。まったく同じことを考えていたわけではないだろうが、似たような発想からその時代に合った商品、サービス、事業内容について考えていた。そう思われるフシがある。
 それはたぶん1980年代後半から90年代にかけてのことだったに違いない。おおよそ30年前。420年周期というのは通常に人間にはイメージしにくいものだが、30年周期は理解しやすい。個人差はあるものの、親子の年齢差は30歳前後。30年後には自分の親と同じ年になる。
 そう考えると、1990年前後にどのような意思決定が行われ、どんな商品、サービスが誕生したのか、気になるものである。
 僕はまったく意図していなかったが、昨日の話の中で、当時我が社が出版に関わった「国字の字典」(1990年)と「私の戦争体験記」(1995年)について語っていた。また、広報誌という位置づけでよいと思うが、「北の四季」が発行されていたのも、1990年代後半。家系図作成ソフト「家康」の発売は1995年だ。
 1990年代は我が社にとって重要な時期だったに違いない。世の中は写植・版下からDTPへの移行期。DTPによって、印刷業の付加価値が揺らぎ始めた時期でもある。その打開策のひとつとして、自分史をはじめとする自費出版事業に力を入れるようになった。併せて、散発的ではあるが「私の戦争体験記」など、商業出版にも参入しようと試みていた。さまざまな試行錯誤を経て、1998年、月刊しゅんが創刊される。僕の入社時期とも重なるが、2000年12月「声を聴かせて」(仁田尾さゆり著、コアラブックス)、2001年1月「おいしいぞ!@十勝」(月刊しゅん編集部編、サニー出版)が発行されている。我が社の商業出版参入時期はスロウ創刊の2004年と考えがちだが、年代を特定するのは考えものだ。
 当時、出版を志して我が社に入社した人は皆無だったに違いない。印刷会社は出版社ではない。しかし、数多くの自費出版に携わる中で、一部の人は編集ノウハウを身につけていった。わずかだが、書き手となる人も現れた。ニーズがある。人々から求められている。そうした実感が使命感となり、情熱と継続力につながって、1990年代、未経験ながらも本づくりが行われていった。その事実に僕は驚きを覚える。
 今はどうか? 編集職を志望する応募者が多い。好奇心はやがて使命感に変わるのだろうか。変わる前には「とことん好き」または「好き嫌いを超越する」という段階が必要だ。人によっては、自分の成長課題がそびえ立つ壁のように映ることもある。持つべきものは才能ではなく、決断であることを30年前の先人たちは教えてくれている。

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