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門外漢の原稿作成技法第58回 弱点の自覚

門外漢の原稿作成技法第58回 弱点の自覚

おはようございます。
 午前9時15分、中小企業家同友会とかち支部事務局長のS氏とともに企業訪問。3社訪ねる。それぞれ、中身の濃い話となった。午後1時、スロウの表紙・タイトル決め会議。比較的すんなり決まった。4時、面接。5時過ぎ、少し早めに仕事を終える。

整えすぎない

ブログを毎日書くメリットについて、僕はこれまで何度も述べてきました。しかし、まだ明らかにしていないメリットがあります。それは何かというと、自分の文章作成法における弱点、未熟さ、至らなさが自覚できるというところ。
 毎日ブログを書いていると、自分でもうんざりするほど気づかされるのです。そして、「35年も文章を書く仕事をしているのに、ちっとも進歩していない」と思ってしまう。僕が文章作成にかけている情熱は、かつて写真の暗室作業に傾けたエネルギー量に匹敵すると思っているのですが、いまだに僕の文章の完成度は低いままだと考える自分がいる。これは理想が高いためなのでしょうか。いや、そうではありませんね。僕の文章には、明らかに欠点、弱点、至らない部分があるのです。
 パソコン(30年前まではワープロ)があるからこそ、最終的には使える文章になっている。もし、僕が一太郎を使わずに書いていたら、とても人前に出せる文章にはなっていなかったことでしょう。手書きで執筆できる人は天才ではないかと思ってしまいます。
 僕の最大の弱点は接続詞、接続助詞、語尾にあります。これは僕だけの弱点ではないでしょう。自分の文章力に自信を持てない人は、接続詞を多用する傾向にあるのではないでしょうか。あるいは、相手に誤解を与えたくない、よりていねいに伝えたいという思いから、接続詞を多用する人もいると思います。「しかし」「したがって」「そして」「なぜなら」といった接続詞が頻繁に登場する。中には、病的なまでに多用する人もいます。
 僕はいったん文章を書き終えてから必ず読み返すようにしています(当然ですが)。削っても差し支えない接続詞は極力減らすようにする。これは自分の文章力を高める上で、もっとも簡単な方法のひとつです。
 接続詞問題は比較的単純。僕を悩ませているのは接続助詞ですね。気づくと、「……ですが、」を使って文をつなげているのです。これも読み返すと目につく。いったん書き終えてから、分割作業をせねばなりません。
 接続助詞に限らず、助詞全般、僕にはちょっとした苦手意識があるようです。数年前に気づいたのは、僕は油断すると「も」(係助詞)を多用しているという点。続けざまに「も」を使っていることがあります。「も」は類似した事柄を提示したり、付け加えたり、強調する際に使われます。文と文のつながりに十分自信が持てないようなときに、「も」を使っているのかもしれません。
 接続詞にしろ、助詞にしろ、自分のそのときの心理状態が反映されると考えるべきでしょう。稚拙な文章、あるいは自分の心理的弱点をそのまま公開することはできません。ブログにしろ、スロウの記事にしろ、必ず読み返して、正常な状態の自分の文章に整える。
 ただし、整えすぎるのは禁物かもしれません。バランスを欠いた文章の中にも「真実の自分」が垣間見えるからです。何かに恐れおののいている自分、肩に力が入った状態で書いている自分、感動を隠しきれない自分といったもの。理性的な書き方をしていても、それがディテールに表れる。完成度を高めすぎると、それらが消されてしまうことがあります。
 短所をなくそうと努力するよりも、長所を伸ばすことに力を入れる。文章作成においても、感性論哲学的な考え方が当てはまりそうな気がします。

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