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門外漢の原稿作成技法第60回 量と質

門外漢の原稿作成技法第60回 量と質

おはようございます。
 火曜。僕のGoogleカレンダーは空白だった。丸一日原稿執筆日に充てようと考えた。それ以外は極力何もしない。最初の1時間を使って、必要最低限のことだけ片付ける。10時からは原稿に集中する。午前2時間、午後4時間。集中できたおかげで、僕が担当している分の原稿を書き終える。「はじめに」も「あとがき」も書いた。あとはA氏の原稿を待つのみ。予定通りというより、予定より早く進んでいる。昨日は6時間で1万字といったところ。これはなかなかのハイペースといえる。

別な世界が開けるとき

やはり、細切れの時間では原稿執筆はスピードが上がらないもの。まとまった時間を確保できれば、ずっと原稿執筆脳でいられるものです。最初はスピードが上がらなくても、2、3時間後からスピード感がついてきて、一気に執筆が進んでいく。課題は途中で思考を中断させるようなアクシデントが起こらないよう、安全な環境を確保することでしょう。この点は個人差があり、すぐ集中モードに切り替えられるという人もいます。
 僕は原稿を書く際、「量」にこだわっています。文字数。1日に何文字書いたか、そして、1時間あたり何文字進んだのか。ここに自分の好不調が現れる。多くの人は原稿の出来映えを気にするでしょう。僕も当然気にしています。
 基準をクリアしていなければ、原稿を書いたとは言えません。「日本語の文章として成り立っている」「意味のあることが書かれている」「自分の主観が込められている」。この3つが僕にとっての基準。これらをクリアした上で何文字進んだのか。ここが重要です。
 どうして「量」なのか? 量をこなさないと、質が上がらない。そう考えているからです。僕は2006年からブログを毎日書くようになり、ある時点で僕は何かを会得しました。「自分は書ける」ということがわかったのです。ライター歴20年にしてようやくわかった(遅すぎ?)。それが2006年夏頃。半年以上書き続けると、たぶん、どんな人にでも変化が訪れる。僕と同じようにブログを書き続けている札幌の同業者S氏も、ほぼ同じような話をしていて、ビックリしたことがあります。
 ある量を超えると、その先に別な世界が開けてくる。これはたぶん、どんな分野にも当てはまるのではないかと思います。僕は大学時代、ひたすら写真を撮っていて、目に見えないものを見ようとしていました。ずっと見続けると、気のせいかもしれませんが、見えたような気持ちになる。大袈裟に言うと、カメラを向ける前に写真が完成しているかのような錯覚を覚えるのです。
 天才レベルの人は「量」という儀礼を通過しなくても、「質」を手に入れることができるのかもしれません。ただ、「量」という裏付けのない「質」はもろいように思えます。量、あるいは努力の積み重ね。それは自分に信頼感を与えてくれるもの。1日で1万字書き進めることができれば、自分の文章力はまだ衰えていない、という気持ちになる。
 ブログは雑誌や書籍の文章に比べれば、基準が低い。多少、日本語として怪しい文章であってもスルーすることがあります。だから、「量」をこなすにはピッタリの媒体なんですね。僕は文章トレーニングとしてブログを始め、多いときには1日2600字ずつ書いていました。「読むのが大変だからもっと短く」と言われ、今は1600字前後に落ち着いています。これでも十分トレーニングになる。
 アウトプット量が増えると、自分の頭の中にある情報の在庫(?)が減少したような気持ちになる。ちょっとした飢餓感のようなものを感じ、情報をインプットしようとする。ここも重要なポイントですね。インプット量が増えるから、質が高まるという理由もあるのかもしれません。

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