
おはようございます。
午前9時半、ミーティング。昼までかかったが、話は着実に進んでいる。午後1時15分出社。1時半、来客。2時半からは、中小企業家同友会とかち支部事務局次長のK氏とともに会員及び未会員企業訪問。3社を訪ねる。5時帰社。社内で行われていたミーティングに途中参加。5時半帰宅。7時、同友会事務所。新会員ガイダンス。9時半帰宅。
写真集「Coincidence 1982-93」について
先週末、夢中でつくった写真集を改めてパソコンの画面で開いてみる。自画自賛になるが、素晴らしい出来映えだ。このまま個展を開きたいところである。42点の作品を収めた写真集だが、これはまだ全体の半分。すぐにでも、続編の制作に取りかかりたいところ。
写真集のタイトルは「Coincidence 1982-93」とした。1994年に開催した個展「偶間」の作品がベースとなっている。そのままでもよいのだが、表紙のレイアウトをしながら、漢字2文字ではバランスがとれないと思ったのだった。Coincidence+撮影年代にすると、ピッタリ収まった。さらにいうと、Coincidenceのほうが偶間よりも写真の意味合いに近い。偶然の一致とか、符合といったものを感じさせる作品群なのである。
1982年から93年までの12年間、僕は「偶然」についてずっと考えていた。偶然を捉えようとし、さらには偶然が起こりやすい場所に身を置こうと考えていた。作品の多くはなぜか海外で撮ったものだった。この偶然の発生率はすごい。というよりも、至るところで偶然が起こっていて、一時的に偶然をキャッチしやすい体質になっていたのだと思われる。
僕の作品は小さな偶然の集まりなのだが、自分にとってはすごいことのように感じられる。なぜこのタイミングでカメラを向け、この瞬間にシャッターを押すことができたのか。自分でもよくわからない写真がいくつもある。
当時、二眼レフのカメラを使っていたからだろうか? 二眼レフは撮影用とファインダー用、2つのレンズがついている。一眼レフの場合、シャッターを押すとミラーが跳ね上がり、シャッター幕が開く。つまり、写した瞬間をファインダーで見ることはできない。数100分の1というシャッター速度だから、通常、気になることはないのだが、当時の僕は気になった。シャッター幕が開き、露光している瞬間であっても、被写体を見たい。そんな欲求があって二眼レフを使っていた。偶然を捉えることのできた理由のひとつかもしれない。
偶然の一瞬を捉えることに成功すると、写真からは符合を感じることになる。関係のないと思われていた複数の物、人、状況が、何かしら関係性を持っているかのように思えてくる。物はともかく、人や動物は絶えず動き、状況は刻々と変化する。だから、0.1秒ずれただけでも、まったく意味合いの異なる写真になる。
これは自分の撮影技術がすぐれているというわけではなく、心から求めていたため、その瞬間を与えられたのだ、と考えている。どう考えても、僕の反射神経がすぐれているとは考えにくい。偶然を捉えようと集中するが、実際のところは、シャッターを押した瞬間に偶然が起こってくれた、と理解すべきだろう。
たぶん、世の中には偶然を捕まえる能力を持っている人もいるに違いない。一方、偶然を与えられやすい体質や心の持ち方をしている人もいることだろう。運ではなくすべて実力なのだと考える人。あるいは、窓が開いていて偶然が飛び込んでくる人。
写真を撮るときにはいつも偶然について考えるが、これは原稿を書いているときにも、会社の人たちと話しているときにも、絶えず僕の頭の中にある。自分の目の前にいる人とは偶然めぐり会ったのだろうか。僕の実感としては、偶然はつかみ取るものというよりも、与えられるものである。偶然から好かれるような生き方、言葉の発し方、心の持ち方を心がけねばならない。
