高原淳写真的業務日誌 > 偶然とその前後 > 偶然とその前後67 意識と無意識

偶然とその前後67 意識と無意識

偶然とその前後67 意識と無意識

おはようございます。
 午前から午後にかけて同窓会報の校正、原稿執筆、企画書作成等。4時、あるウェビナーに参加。これは大変ためになるものだった。引き続き、受講することにした。

被写体と被写体、被写体と自分との関係性

1982年から83年にかけて、僕は「意識と無意識」というテーマで写真を制作していた。あれから、もう40年経ったとは驚きだ。「意識と無意識」は暗室の中で誕生する秘密めいた写真群だった。今ならPhotoshopを使って簡単にできるのだが、当時はほとんど誰も真似できないような技術。1枚のネガを使って印画紙の半分だけ露光。ネガを裏返して、もう半分を露光する。境目がわからないよう、印画紙の箱か黒ケント紙のようなものを印画紙上で動かしながら露光していく。そうして、左右シンメトリーの写真をつくるのだが、たいていの場合、微妙に位置がずれてシンメトリーではなくなる。僕も何10枚と失敗した。失敗を重ねながら少しずつ精度を上げていき、やがてほぼ完璧なシンメトリーの写真を作るようになった。微妙にずれる原因はネガの平面性とフィルムのほんのわずかな厚みによるものだった。
 技術的問題はさておき、シンメトリーの作品によって、撮影時に意識していたこととは別に、無意識のレベルで自分が何かを感じ取っていたことが明らかになった。ハッキリそうとは言えないのだが、撮影時のモヤモヤした感覚がシンメトリーに合成することで、少しわかったような気持ちになった。これは当時の僕にとって大きな出来事であり、それからしばらくの間、シンメトリーの世界にのめり込んだ。
 ある程度満足したためか、その後はストレートフォトに専念するようになった。スクエアサイズの写真が自分になじむことがわかり、6×6の二眼レフ、ヤシカマット124Gを持ち歩くようになったのだ。このカメラは本当に素晴らしく、体の一部のようになっていった。シャッターが軽く、手持ち1/8秒でも撮ることができた。社会人になってから、同じく二眼レフのローライフレックスやマミヤC330などを使うようになったが、ヤシカマットほど体の一部にはならなかった。
 おっと、カメラの話ではなかった。シンメトリーの「意識と無意識」シリーズを制作し続けていた影響だろうか、ストレートフォトを制作しても、僕は無意識の存在を感じながら撮影し、プリントしていたようだ。もう40年近く経過したため、当時どのように思っていたのか、記憶が曖昧になっている。だが、合成という手法を使わずに、頭の中で複数の被写体との関連や自分との関係性について認識し、それをフィルムに収めていたように思われる。
 不思議なのは1980年代当時の僕は、そのことの重要性を十分理解していたとは言い難いことだ。今見ると、名作と呼ぶにふさわしい作品があるのに、どこにも発表していない。社会人になってからギャラリーDOT(京都)で何度も個展を開催してるのに、発表していない作品が案外多いのである。
 いったんプリントして、その後しばらく放っておかれた写真。そんな中に実は驚くものがあったりする。こんなところにこんなものが写っている。その「こんなもの」がメインの被写体と微妙に関係があって、写真に深みを与えている。
 問題は、撮影時の自分が果たしてどれほど認識していたのか、ということである。目の前にある写真と当時の記憶(大半は忘れているが)を照合してみる。すると、明確に認識し、思い通りに撮影したものが約半分。残り半分はたぶん「偶然」によるものと思われる。もちろん、思い通りに撮ろうと思っても思い通りにならないのが写真のおもしろさだから、明確に認識していても偶然に依存するところが大きい。
 自分ではどうにもならないもの。そして、偶然によって与えられるもの。写真はこうしたモヤモヤしたところから誕生する。僕は偶然に依存しすぎる傾向があるようだ。たぶん、文章を量産しているのは、ある種の均衡を保つためではないかと考えることがある。

〒080-0046 北海道帯広市西16条北1丁目25
TEL.0155-34-1281 FAX.0155-34-1287

高原淳写真的業務日誌