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門外漢の原稿作成技法第61回 縦書きの理由

門外漢の原稿作成技法第61回 縦書きの理由

おはようございます。
 前半は社内報原稿作成。朝のうちに、短い原稿を1本仕上げる。朝食後、9時から5000字の原稿を書く。昼過ぎ、2本の原稿を担当者に送る。昼食後、いよいよ本の原稿にとりかかる。相変わらず、調べながら書くといったスタイル。だから、スピードは上がらないのだが、着実に前に進んでいる映像を頭に思い浮かべた。その映像はガリンコ号だった。流氷砕氷船というほどではないが、確かに、何か硬いものを砕きながら書き進んでいるような気がした。6時夕食。7時過ぎ再開。11時頃、本文をすべて書き終えた。

異質なものを受け入れる言語

社内報、長短合わせて6000字。本の原稿はたぶん8000字くらい。昨日は1万4000字くらい原稿を書いたのではなかろうか? 一日中書いていたという感じです。ただ、本のボリュームはそれほどのものではなく、字数でいうと3万2000字程度。クナウこぞう文庫の半分程度の分量。
 ですが、電子書籍としては十分な量とも言えますし、それ以上に説明用の図版の点数が多い。紙の本として出版した場合、ページ数はたぶん200ページ前後になるでしょう。今週中に図版の作成と本文の校正作業を進めていく必要があります。
 これまで、紙の本を電子書籍化したものはありますが、最初から電子書籍として本を制作したのは今回が初めてです(写真集を除く)。
 原稿を書くという点では紙の本も電子書籍も変わるところはありません。しかし、どこか違うような気がする……。そう感じながら原稿を書いていました。どこが違うのか? まだよくわかっていないのですが、一太郎で原稿を書きながら、どこかしらインデザインで原稿を書いているような気分になっている。そんな気がしてなりません。英数字を寝かせたままでよいか、縦中横にするか。書きながら、気にしていたりするのです。
 最初から「縦中横一括設定」にするという方法もあります。だが、実際に一括設定をすると、必ず見栄えの悪いところが出てくる。今回途中で確認してみると、そんな不具合を発見しました。いったんすべて、書き上げてから最後に調整するのがよい。つまり、スロウの記事を書くのと同じようなやり方ですね。
 スロウの原稿で慣れてしまっているためか、英数字が横に寝ていてもまったく気にならなくなりました。むしろ、入力直後、自動的に縦中横に表示されるほうが何となく居心地が悪い。しかも、横に寝ていてもらわなければ困る英数字が縦中横になると、けっこうストレスに感じるものです。たとえば、「Kindle 2」の「2」だけが縦中横になると、改めて横に寝かさなければなりません。こうした手作業による修正はインデザインでも必要ですから、やむを得ないものと割り切るしかありません。
 原稿を書きながら、日本語の不思議さについても考えていました。日本語を構成する要素は、漢字、平かな、カタカナ。それに英数字が加わります。細かいことをいうと、漢字でない「国字」を使うこともあるでしょう。それに約物。日本語ほど異質なものを柔軟に受け入れる言語は、他にないのではなかろうか? 絵文字も使われますから、ほとんど何でもありの世界です。
 これが横書きだけではなく、縦でも使われる。縦書きの文章の中に、横に寝たままの英数字が混じっていても、さほど違和感を感じません。むしろ、中途半端な縦中横であるとか、英字を無理矢理縦に並べたりするほうが不自然に思えたりする。英数字をどのように扱うのか、縦書きではとても悩むことになります。数字の場合、縦書きで英数字のままにするか、漢数字に置き換えるか、媒体によってルールがあります。漢数字にした場合、さらに「百」にするか「一〇〇」にするか、といった問題が発生します。
 こうした悩みや葛藤、美意識の違い。さまざまな要素が絡み合って一冊の本ができあがる。横書きではさほど悩む必要はありません。縦書きの本は悩みと葛藤がある分、書かれている情報以外のメッセージを伝えることができる。本として深みが出る。僕はそんなふうに考えています。

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