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写真論17 視野を広げる

写真論17 視野を広げる

おはようございます。
 朝はビジネスSA研修1日目の宿題を仕上げる。8時40分、2日目の研修に参加。9時から講義が始まる。眼精疲労対策におしぼりと目薬を用意。夜9時頃、2日目終了。夕食後、宿題に取り組む。11時就寝。

世界から切り離すか、世界とつながるか

写真に没頭すると、視野が狭くなることがあります。高校から大学時代にかけての僕がそうでした。視野が狭ければ広角レンズを使えばよい……というものではありません。ファインダーを覗くと、ファインダーの中に見える世界がすべてであるかのよう錯覚してしまう。それによって、いい写真ができあがる場合もあるわけですが、それ以外の世界が見えなくなってしまいます。撮影とはそういうもの。そう考えると同時に、見ようとしなかったことによる弊害もあるに違いない。今の僕はそんなふうに考えることがあります。
 大学時代は僕の視野の狭さが頂点に達した時期でした。視覚ばかりではなく、聴覚でも外界から自分を切り離した。当時はウォークマンの全盛期だったと思います。僕は大学構内にある「カメラのアルス」でウォークマンⅡを購入し、カセットテープでジャズを聴きながら撮影するようになりました。できるだけ外からの情報をシャットアウトして、目の前の風景、それもファインダーの中の世界に集中したいと思ったのです。
 こうした撮影方法を続けると、自分の撮りたいと思う写真が撮れるという成果を得る一方、失われるものもあります。今考えると、学生らしいキャンパスライフがどのようなものなのか、僕はほとんど知りません。サークル活動ともまったく無縁。撮影→フィルム現像→引き伸ばし作業。この3つを中心に生活が回り、非常に狭い交友範囲の中で飲んだり、遊んだりする。視野が狭い分、世界も狭かった。視野を広げる活動といえば、当時読んでいた毎日新聞くらいでした。新聞だけは読まなきゃと思っていた。
 360度広がる世界の中からほんの一部分を切り取って写真が誕生します。ファーインダーを覗きながら、自分の見たい世界を見る。ファインダーの1ミリ外側には電柱があったりする。電柱が写らないギリギリのところでフレーミングする。そんなことがたびたびありました。
 自分の写真の世界から排除したものはいろいろあります。電柱、電線、看板、自然の中の人工物、落ちているゴミ(拾って排除することもある)。これらは、目の前に存在してはいるのだけれど、見ないようにする、または見えないように隠してしまう。被写体の後ろ側に隠して見えなくすることもありました。公園で植物を撮影しているときは、しょっちゅう人が写り込んでしまいます。僕は葉っぱや木の幹で人を隠すことが多かった。そして、人は最初から存在していなかったことにしてしまう……。
 これをやりすぎると、日常生活の中でも「見たいものしか見ない」、または「見たくないものを無意識的に隠してしまう」という傾向が現れてきます。脳みそが撮影モードになっているときは、頭で考えて見たくないものを排除するのではなく、見えない位置にすっと移動し、一瞬のうちに見えないようなフレーミングをしてしまう。撮影時にはよくても、これでは日常生活に支障を来すことになりそうです。実際、そのような危うさが当時の僕にはありました。
 社会に出て37年も経つというのに、今でもそのような傾向が僕の中にはあります。視野を広げようと、右目でファインダーを覗き、左目では外の世界を見る。そんな撮り方をするようにもなりました。また、ノーファインダーで撮ることもあった。さまざまな撮り方を試み、ファインダーの中の世界には固執しないように努めました。
 それでも、企業経営する中で自分の視野の狭さに気づかされることがよく起こります。昨日も、12時間に及ぶ研修の中で自分の視野について考えさせられました。40年以上磨いてきたフレーミング力を生かしつつ、別な角度から世界を見る。リフレーミング力を高めていかねばなりません。

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