
おはようございます。
中川町で朝を迎えました。帯広よりも気温が低いように感じます。どうしよう? 持ってきた着替えは半袖シャツ……。
それはともかく、帯広から中川まで車で6時間。ひとりで運転するとしんどいですね。到着したときには時差ぼけに近い感じになっていました。撮影しているうちに元通りに。道北取材ではこうしたパターンが多い。
昨日の取材で感じたことは「続ける」ということでした。僕よりもはるかに若い3人の活動を見聞きしながら、やはり継続が何よりも大事だな……と考えていました。
続けるにはテーマが必要
才能を持った人は、実は世の中には大勢います。というよりも、全員何かしらの才能がある。まずは、自分の中に存在する才能に気づくかどうか? ここが第一関門かもしれません。気づいて、才能を伸ばそうとするかどうか? それが第二関門。そして、第三関門となるのは「続けるかどうか」でしょう。
ものすごく残念に思うのは、才能があって、ずいぶんいい感じのところまで才能を伸ばしているのに、途中でやめてしまうという人がいることです。自分の仕事人生において、「才能を伸ばし続けること」よりも大事なことってあるのでしょうか?
もちろん、人生の重大事に対処せねばならないといった局面もある。一時的に中断することもあるでしょう。数年間中断して、その後復帰するという方法もあります。僕もそのパターンに近いかな? 大事なものをそう簡単に手放してはいけない。そう思っています。
才能豊かな人の中には、多才な人もいます。何でもひと通りできてしまうので、ひとつに絞り込むことができないという人もいるようです。まあ、無理に絞り込む必要なないのかもしれません。僕も写真と文章の2本立てでやってきました。ひとつに絞り込んで努力を継続した人には敵わないと思うこともありますが、2本立てでやってきた意味も確かにある。僕にとって、誰かにメッセージを伝えるには写真と文章の両方が必要だったのです。
狭く絞り込まず、自分の持つ複数の才能を同時に伸ばし続ける。そんな生き方もあるはず。ただ、その複数の才能は互いに関連性を持っていることが重要なのではなかろうか? 関連性がない場合は、どちらかを「趣味」という位置づけにしなければなりません。
ひとつのことを熱心にやり続けていると、その中から新たな才能の存在に気づく……というケースがあるものです。この場合は「途中でやめた」ということではなく、次のステージに進んだということになるでしょう。我が社の中でも、そのようにして成長していく人が何人かいます。熱心に仕事をすると、そのようなことは起こりやすい。
途中でやめて別なことをやり始める人と、次のステージに進む人。両者の違いはどこ現れるのか? 一番の違いは過去に積み重ねてきたものが、次のステージでも生かされているかどうか。ここでしょう。誰よりも本人がわかることですし、周囲の人にもだいたいわかる。過去とつながるような働き方をする……というよりも、今の自分が「人生ビジョンにつながるような働き方」をすることですね。目の前の仕事に追われることはあっても、それだけに終始するようであるべきではない。そう思うのです。
我が社で行っている「個人のコア・コンピタンス」。これは自分の才能を深く考える上で、とても重要な活動ではないかと思っています。なぜそう思うのか?
ひとつのコア・バリューと複数の周辺バリュー。年1回見直すうちに、少しずつ態勢が整っていくような感覚を覚える人もいるのではないでしょうか? コア・バリュー一本だけでは生かしにくい自分の才能。周辺バリューと組み合わせることで使えるものとなっていく。そんな人も少なくない。アートの世界ではひとつだけ突出した能力があればよいわけですが、ビジネスの場合は複数の能力が求められることが多い。強みの束、コア・コンピタンスのような考え方が必要となってくるのです。
言い換えれば、「テーマを持って続ける」ということなのかもしれません。テーマが見つからないという人もいるでしょうが、そうした人はテーマが見つかるまで今の仕事に熱中することです。熱中するという経験なしにテーマが見つかることはない。
テーマは人から与えられるものでもなければ、メニュー表に書いてあるわけでもありません。自分の裡から湧き出してくる(または天から降りてくる?)もの。僕のイメージでは、ひとつのことに熱中して沸点に達したとき、やってくるものなのではないかと思っています。
瞬間的に沸点に到達する人もいれば、なかなか温度が上がっていかない人もいます。どちらがよいというわけではありません。温度が上がりにくい人でも、5年、10年と続けるうちに温度は着実に上がっていくものです。ただ続けるのではなく、思いを込めて続けていけば……の話ですが。
継続的に努力を重ねた結果、その先には何があるのだろう? そう考えることがあります。
僕はまだちゃんとは見ていませんが、「美しい風景」が見えるようになるのではないかと想像しています。やはり僕の根底にあるのはフォトグラファーなのでしょう。見たいのは美しい風景なんです。それはどこかへ絶景を見に行くといったものではなく、日常のありふれた風景が美しく見えるというもの。僕の写真のテーマでもあるわけですが、それが常時見られるようにしたいというのが僕の人生ビジョン。
表現手段は人それぞれ。ただ、スロウで取材を重ねていくと、僕と同じような世界を追い求めている人が多いような気がします。たぶん、我が社の人たちも僕と同類でしょう。だからこそ、「続けること」に期待をかけているのかもしれません。