
おはようございます。
午前9時半から原稿の手直し。午後は図版の作成。3時頃から、縦中横と全角・半角の設定。インデザインのようにはいかない。一太郎で半角数字を縦に並べる方法はあるのだろうか? あきらめて全角に変換し、縦に並べる。続いて図版を挿入していく。最後に目次の作成。6時頃、一通り仕上がった。ただし、奥付、自社広告の部分はできていない。月曜日の作業となる。
主人公と導き手
以前にも書いたことだが、スロウの原稿を書き始める前には、「本当に書けるだろうか」という弱気な気持ちからスタートする。いつも同じ気持ち。それが書き下ろしの本ともなると、「書けるのだろうか」というマイナス思考が倍増する。この大きなマイナス思考を上回るような「書きたい」「書かねば」という気持ちを持つところから、執筆が始まるような気がする。
他の人はどうかわからないが、文章を書く際にはプラス思考とマイナス思考とが交錯する。僕の中では五分五分といったところだ。49:51でマイナス思考が上回ると、あきらめ、または保留という状態になる。いかにプラス思考を51%以上に保つか。ここが重要だ。「自分はちょっと弱気になっているな」と感じながらも、プラスの意思決定をする。原稿執筆に限らず、あらゆる仕事に当てはまるに違いない。前向き、積極的な人の中にもマイナス思考があり、不安や恐れ、劣等感といったものを抱えている。それでも「できる」という気持ちを高めて、行動していかなければならない。
そのように自分を突き動かすには、「書かねば」という使命感も大切なのだが、「書くことが楽しい」という感覚を持つことも不可欠だろう。
僕自身は、「原稿執筆が得意だ」と思ったことがないため、原稿執筆中の7~8割くらいは悩んでいる時間となる。しかし、原稿を書くために悩んだり苦しんだりする時間は決して悪いものではないな……と思うようになった。仕事や人生におけるさまざまな悩みの中で、原稿に関する悩みは「楽しめる悩み」といえる。つまり、執筆スピードが上がらない時間も、僕は書くことを楽しんでいる。そう考えて差し支えない。
先日読んだ本の中に「たいていの物語はシンプルな枠組みでできている」というのがあった。何らかの目的を持つ主人公が何らかの問題に出くわし、絶望の淵に立たされたとき、導き手が現れて計画を授け、行動を促す。そして、失敗を回避し、成功に至る……。
たぶん、本の執筆にも同じようなプロセスがあるのだろう。書く目的は明確。そして、必ず問題に出くわす。「絶望の淵」というほどではないが、「自分には書けないのではないか」という気持ちになる。そこに導き手が現れる。僕にとっての導き手は、ずっと昔の記憶だったり、身近な人の言葉だったりする。新聞や本ということもある。最初の計画通り、淡々と仕事が進んでいくということはほとんどない。必ず、問題や危機に遭遇し、それを乗り越えるか回避するか、何らかの打開策を探すこととなる。
この物語の枠組みの中で僕が重要だと思うのは、「導き手」の存在だ。原稿執筆に際しては、人であることも情報であることもある。自分の記憶の中に導き手が存在することもあるようだ。社内のさまざまな問題も、この枠組みを頭に入れておくと解決しやすいのではなかろうか。また、自社の歴史について考えてみると、このような物語がいくつもあったことに気づく。たぶん、自分史においても同様だろう。
昨日書き上げた本は、本(電子書籍)の執筆を勧めることを目的に書いたものだった。自分自身、誰かのための導き手になる必要がある。
人は自分の人生においては「何らかの目的を持つ主人公」であるが、他人の人生の中では「計画を授ける導き手」であるべきだろう。とりわけ、仕事人生の後半では、導き手としての自分を意識しなければならないと思った。