おはようございます。
早朝にひと仕事。1時間で片付けようと思ったら、2時間かかった。寝不足が原因か? 8時半、ZOOM面談。10時、自宅でミーティング。午後は書斎で仕事。3時、北海道中小企業家同友会理事会。6時終了。眠気には勝てない。8時過ぎ就寝。
10年に一度の祭
僕の人生を振り返ると、おおよそ、10年に一度のペースで眠気と格闘しなければならない時期がやってくる。今年はまさにそのような年だ。ただ、10年前の2012年にはやってこなかったような気がする。極端に睡眠不足だったという記憶がない。10年前の僕はちょっとぼんやりしていたのだろうか。
20年前の僕は経営指針・経営計画づくりで格闘していた。それだけではなく、社内には問題が山積していた。現実に振り回されながらも、将来に向けて手を打っていく必要があった。もちろん、僕だけが睡眠不足だったのではない。同じように寝不足をものともせず働く人が何人もいた。
その10年前、1992年頃はどうだったのかというと、会社のためではなく、僕は自分のために格闘していた。まだまだ、組織のためとか、社会貢献といった人格レベルではなかったのだ。自分がちゃんと仕事のできる人間になるために働いていた。
ただし、1992年頃の僕はある意味絶好調だった。睡眠を削ればいくらでも働くことができると思った。実際、タイアップ広告の仕事では、今では真似できないようなページ数をこなしていた。とことん働き、夜はみんなで川の字になって眠り、目が覚めたらまた働いた。不夜城と呼ばれた。それが楽しいと思えるような年代だった。そのように働きながら、年1回ペースで個展を開催し、年2回は海外旅行に行っていた。自分のためだけに働くのはたやすいこと。そうわかったのは、40代になってからのことだった。
さらに10年前、1982年頃にも、僕は睡眠不足で活動していた。学生だったこの頃は、暗室作業を究めようと思っていた。暗室といっても換気扇はついていない。幸い、僕は停止液や定着液に使われる酢酸の匂いが好きだった。だから、まったく苦には感じていないのだが、ずっと換気せずに暗室に籠もっていると、気が遠くなることがあった。現像液のバットに顔を突っ込んだこともあった。
このように書くと、僕が睡眠時間を削って働いている努力家のように誤解されそうだ(しないかな?)。実際は、無駄な時間の使い方をすることが多く、そのしわ寄せとして暗室作業、原稿執筆、経営計画づくりがギリギリになるというパターンが大半だった。暗室作業や原稿執筆はある意味、お祭りのように一気に片付けていくことができる。しかし、さすがに経営計画はそのようにはいかない。できるだけ、睡眠不足に陥らないよう、50代に入った頃から時間の使い方を気をつけるようにした。
ところが、2020年からそのようなことも言ってはおられなくなった。今年は特にそうだ。同友会の活動に使う時間も増えたが、あれこれ考えるべき時間も増加した。「何も考えていない」と言われそうだが、眠っている時間も考え、仕事の夢をよく見るようになった。
写真でも執筆でも、その他の仕事であっても、熱中できるものがあるのは幸せなことである。できれば、自分の得意なことや好きなことに熱中するのが本当は望ましい。だが、たとえ苦手なものや義務的に思われるようなものであっても、何か(または誰か)にせき立てられるようにして、ゴールに向かって走り込んでいくのは、決して悪い感覚ではないものだ。2002年、僕は全道、全国経営発表大会で発表するために全力で書き上げた。その感覚が今も残っている。気が遠のきかけても、過去の記憶が自分を現実に呼び戻してくれる。