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第4話 塩と環境

第4話 塩と環境

おはようございます。
 えりもでステーキを食べてきました。このように書くと、何やら平日に遊んでいたかのように誤解されそうです。もちろん、取材の仕事。
 先日聞いた講演の中に、「役得感と使命感があるとモチベーションが上がる」といった話がありました。僕らの仕事にもそんな一面がありますね。役得感だけだと、後ろめたさが若干残る。使命感とのバランスがとれていると、確かにモチベーションが上がるような気がします。
 本当においしいステーキは塩コショウだけで食べるほうがよい。そう断言してよいのかわかりませんが、昨日いただいたステーキも塩コショウのみでした。できるだけシンプルな味付けのほうが肉の味が伝わりやすい。同じような理由で、焼き鳥も塩、そば屋さんでも盛りそばを注文することが多い。
 たぶん僕は食通ではなく、素材主義者なのだと思います。何も付けないほうがおいしい。そう感じるようになったのは年齢のためなのか、東京から帯広へUターンしたためなのか? ジンギスカンも漬け込みではなく、後付けの生ラムまたはマトンがいいと思うようになってきました。どんどん薄味になっていく。畑で直接食べるアスパラやニンジンが素晴らしい味に感じます。

純粋さと不純物

というわけで、ほんの少々の塩、あるいは数滴の醤油。これが僕にとっては重要な意味を持つにようになってきました。
 我が家には、いつしか「ケミカル塩」と書かれた容器が台所に設置されるようになりました。普通に売られている純度の高い塩。これは通常の料理には使いません。僕も使わなくなりました。理由はやはり自然塩のほうがおいしいように感じられるからです。食生活が乱れていた頃(30代まで)にはさほど気づきませんでしたが、スロウの取材をするようになって、少しだけわかってきました。
 スロウの創刊間もない頃、海水を煮詰めて塩を作るという仕事を取材したことがあります。途方もなく根気の要る仕事だと思いました。車で海水を汲みに行く。そして、汗だくになりながら煮詰めていく。工程はもうちょっと複雑だったと思いますが、長時間かけてようやく塩となる。
 できあがった塩は単なる塩化ナトリウムではありません。ミネラルが豊富に含まれている。その結果、必ずしも味に敏感とはいえない僕にも、その塩のよさがわかったわけです。
 ただ、当時の僕は「これが果たしてビジネスとして成立するだろうか?」と、余計なことばかり考えていました。「スロウがビジネスとして成立するか?」という自社の問題と重ね合わせていたんですね。じっくり時間をかけて煮詰めた塩をカメラに収めながら、単価×数量を頭の中で計算していました。
 当然ながら、損得勘定でできる仕事ではありません。たぶん、何らかの使命感から行われていたに違いない。役得感があるとは思えません。純度の高い使命感から純度の高くない塩(ミネラル豊富という意味)が作られる。古来からの製法で作られた自然塩。味はもちろんのこと、体に採り入れるにも安心できるような気がします。

自然塩の記事はスロウでは確か3回載ったことがあると記憶しています。最初に取材させていただいた方は、残念ながら撤退してしまいました。後で知ったことですが、理由は水質の変化(産業排水?)によるもののようです。ものすごい忍耐力を要してできあがる自然塩。ただ、品質の良し悪しは原料の海水で決まるわけですから、どんなに技術と忍耐力があってもどうにもなりません。何とも残念です。
 最初は「ビジネスとして成立するか?」と疑問に思った自然塩の仕事ですが、スロウでも取材させていただいたことのある「オホーツクの塩」(つらら)や「窯焚き海水塩」(オーガニックケルプ)など、けっこう目にする機会が増えました。需要が高まっているのではないかと思います。
 我が家にも何種類かの自然塩が常備されています。煮物などでは違いがわかりにくいけれど、ステーキや焼き魚ならハッキリわかるでしょう。
 味覚というものには「違いがわかれば、後戻りできなくなる」といった性質があるのではなかろうか? 純度の高い塩と自然塩。同じようにしょっぱいわけですが、そこに塩辛さだけではない味わいがある。そこに気づけば、数倍の価格差も気にならなくなる。そして、違いをもっと知るために塩を使いすぎないようになる。
 ある年代に到達すると、ふだんの食生活は「量」から「質」へと変化していくものです。食材全般に当てはまることですが、調味料も大きく変わりましたね。変わっていないのはソースくらいかな? いくつかの地ソースを試しましたが、どうもピッタリのものがない。自分で作るだけの意欲もなく、大手メーカーのソースを使い続けています。ワニソースの復刻版なんて、できないでしょうか?

純粋であることは、人間としてとても大事なことといえるでしょう。純粋な思い、ひたむきな働き方、相手を思い遣るような人との接し方。
 その一方で、仕事の経験を積み重ねていくと、自分の中に不純物が少しずつ混ざっていくことに気づくはずです。
 僕は100%純粋である必要はない。むしろ100%のままでは危険だと思っている人間です。重要なのは自分の中に混じり込む不純物の成分なんですね。
 自然塩に含まれる塩化ナトリウム以外の成分が、ミネラル分ならよいわけです。ところが産業排水に含まれる有毒物質であれば問題です。また、近年問題になっているマイクロプラスチックも気になります。不純物には好ましいものと好ましくないものとがある。
 もともと自分が持っているピュアな部分を残しながら、いかにして好ましい不純物を取り込んでいくか? これが社会人としての成長の仕方なのではないかと思います。ピュアなままで一生を貫くことのできる人もいますが、それは一部のアーティストくらいでしょうか? 通常の人であれば、努力を怠るとピュア(pure)からプア(poor)に変質していく。
 僕は最初に海水が煮詰められていく工程を見たとき、錬金術のような光景のように感じました。数年経ってから、人の成長プロセスのように思えるようになってきました。同じように見える海水なのに、採取地や水質によって異なる個性を持つ塩ができる。人間も同じかもしれません。根気強く煮詰めていけるかどうか? 何10年も自身を煮詰める作業が続きます。

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