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活動記録101 SLOW livingプレオープン前夜

活動記録101 SLOW livingプレオープン前夜

こんばんは。
 ブログの更新が12時間以上遅くなった。これは土曜日の記録。
 プレオープン前日となり、それぞれ準備作業が大詰めを迎えていた。僕は午前から午後3時頃まで買い物をすることとなった。ちょっとした不足物がずいぶんあった。これだけで一日分働いたような気がした。SLOW livingに戻って、ノートパソコンを開く。本来やるべき資料作成を行う。だが、なかなかスピードが上がらない。7時半頃いったん帰宅。8時40分、これが最後か? 不足物を1点購入。9時過ぎ、SLOW livingへ。1時間ほど作業をする。10時半帰宅。

「助けられる」と「助ける」

SLOW livingの開店にあたって、「この人がいて助かった」と思える人が何人もいます。逆に言うと、「もしいなかったら、どうなっていたことだろう」ということになる。本当に不思議に思えます。いなくても、開店に漕ぎ着けることは可能かもしれませんが、まったく異なる結果になっていたことでしょう。
 「何とかしたい」「どうにかせねば」という思いがあるレベル以上に強まると、何か不思議なことが起こるのではないか? 僕は決して、神秘主義的な考えを持っているわけではありません。しかし、どこかで「助けられている」という感覚を抱くことがあります。これは人生の中でも何回か経験していること。きっと、誰しも「助けられた」という経験を持っていることでしょう。
 この「助けられた」を経験しているかしていないかの違いは非常に大きなものがあります。「助けられる」。言葉の表面だけ捉えると、何となく受け身的に思えるかもしれません。けれども、意味するところはまったく逆なんですね。「何とかしたい」ととことん考え、超人的な努力をしているからこそ、誰かが助けてくれるわけです。
 ほとんどの人は自分ことで手一杯。にもかかわらず、誰かを助けてあげようという気持ちになることがあります。そこには助ける人の人間性に加えて、助けられる人の「何か」が作用する。「何か」とは何か? たとえば、共感を覚えるような目的に向かって超人的な努力をしている人には、「自分にできることはないか」と考えるようになるものです。目に見えないところで、そうしたメカニズムが働くと、実に不思議な現象が現れる。絶妙なタイミングで助けられる。けれども、よく考えてみると、それは不思議ではなく、自然な成り行きであったりするのです。
 経済活動というものは、「労働とその対価」というドライなものだけではありません。合理的、理性的に見れば「価値と価値との交換」。そして、もっと人間的に捉えるとすれば、「何とかしたい」という気持ちと「何とかしてあげたい」という気持ちから生じる、もっとも純粋な活動と言ってよいのではないでしょうか?
 大半の社会人は生活のための収入が必要。大半の企業は事業継続のための売上が必要。このため、ボランティア活動はあっても、それが主になることはありません。このため、あらゆる活動に金銭が伴う。お金に「色」はないのかもしれませんが、僕はお金に「意味」はあると思っています。「助けられた」「助けてあげられた」という思いが込められたお金には、額面以上の価値がある。できれば、我が社はそのような仕事をしたいと思っています。我が社のみんなも同じ気持ちでしょう。
 SLOW livingに限りませんが、何か大変と思えることにチャレンジすると「助けられる」か「助ける」か、どちらかの経験をすることになるでしょう。若手の人にとって、人生にもっとも必要な経験に違いありません。

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