第10回 句読とトーク

第10回 句読とトーク

おはようございます。
 ふだん、僕は写真と文章を使ってメッセージを伝えることが多いのですが、講演やセミナーで話をさせていただくこともあります。昨日は帯広畜産大学の就活セミナーでした。毎年1月開催されているもの。対象は就活を控えた3年生。昨年に続き、「伝わるコミュニケーション」というテーマで話しました。
 文章とセミナー。言葉を使ってメッセージを伝えるという点ではどちらも同じ。ただし、講演やセミナーの場合はリアルタイムで聞き手の反応を知ることができる。ここにちょっとした緊張感と楽しみがあります。僕のトークは適切だったのだろうか? 価値を感じてもらえたであろうか? リアクションが気になりますし、反応を確認しながら、伝え方を微調整するようにしています。
 話し言葉における微調整とは、話の中身だけではありません。話すスピード、声の大きさ、声のトーン・・・。これらを場の空気に合わせて変えていきます。空気を読まずに自分のふだんの調子で話し続けると、トークではなく、苦闘することになってしまいます。
 僕が講演やセミナーで心がけている微調整。これはもしかすると、文章にも当てはまるのではなかろうか? 今朝、ふとそんなふうに感じました。
 トーク術をどのように文章に応用するか。そう、句読点なんですね。句読点がてんでなっていない人も、まるでダメな人もいます。悪戦苦闘している人のための句読点微調整法。
 今回は小ネタのように思われるでしょうが、最後までお読みいただけるとうれしいです。

「すっきり」を求めすぎない

話し言葉でときどき難しいなと思うのは、アクセントです。わかっているようでわからない。アクセントに悪戦苦闘という人もいるかもしれません。端、橋、箸。これを適切に言い分けることができるでしょうか? ちょっと考えてしまいますね。
 文章表現の場合、漢字を用いることでほぼ解決します。紛らわしい言葉をどのように区別するか。話し言葉ではアクセントが重要となりますし、文章では漢字の使い分けが鍵を握ることになるでしょう。
 けれども、漢字の使い方が適切であっても、それで問題解決というわけにはいかないことがあります。一文がだらだらと続くことがあると、たまに意味がよくわからなくなったりするものです。

彼の言わんとするところはわからないわけではないのだけれどどうもうやむやにされているような感じがしてすっきりしない。

本当にすっきりしない文を書いてしまいました。この文をわかりやすくするとしても、漢字にできる箇所は限られています。それに、漢字の用法には統一性が求められます。無理矢理「分からない」に変換してしまうと、他に出てくる「わからない」も漢字にしなければならなくなる。
 というわけで、適切に読点を使うことになるわけです。

彼の言わんとするところは、わからないわけではないのだけれど、どうもうやむやにされているような感じがして、すっきりしない。

この文そのものがすっきりしていないので、読点をつけたくらいでは、きっとすっきりしないでしょう。それでも、意味は通じるようになりました。
 句読点のうち、句点「。」のほうは使い方に迷うことはないはずです。文の終わりにつけるだけ。
 一方、読点「、」に関しては、つけ方に迷う人も多いのではないかと思います。何か、定められているルールがあるのではないか? 几帳面なタイプの人はそんなふうに思っていることでしょう。
 結論から言えば、ルールはあるようでない、ないようである・・・ということ。まったくもって、すっきりしないですね。
 目安となる読点のつけ方を知りたい人は、本を読むなり、Webサイトで検索するなりしてください。そんなの当たり前じゃないか・・・といったようなことが書いてあります。
 それよりも重要なことは、「読みやすいと感じるかどうか」なんですね。写真家的文章作成技法では、これをひとつのルールにしたいと思います。わかりやすい、伝わりやすい文章とはどういうことか? それは読み手のことを思いやっている文章ということです。
 読点をつけるべき目安としては、先ほどの例文のように「ひらがながだらだら続いている」ところ。あるいは、「単語の境目がわかりにくい」ところ。ただ、何でもかんでもつけてしまうと、かえって読みにくい文章になってしまいます。
 もうひとつ、ルールを設けるとすれば、それは「書き手がほんの一瞬間を置きたいと思うところ」ですね。書き手の心の状態によって、読点が増える場合もあれば、読点がふだんの文章より少なくなることもあります。
 写真家的文章作成技法では人間的な文章の書き方を提唱しています。話すように書く。それが理想です。
 したがって、書いているときの自分の気持ちを大切にするというのが基本スタンス。息継ぎすることなく、200字くらい一気にかいてしまいたい・・・。そんな気持ちになることもあるでしょう。そんなとき、句点は必要があって使いますが、読点のことなど構ってはおられないと感じてしまうこともある。後から読み返して、読点を加える必要もあるでしょうが、僕はできるだけ書いているときの自分の気持ちを残しておくべきではないかと考えています。
 「読み手に対する思いやり」と「自分の気持ち」のバランスが大切。そんな中から、自分なりの読点のつけ方が自然に定まってくることでしょう。
 句読とトークの関連性についてご理解いただけたでしょうか? えっ、どうもすっきりしない? ならば、明日はもっとすっきりしない話を書くことにしましょう。お楽しみに。

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高原淳写真的業務日誌