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仕事観について124 ソーゴーからクナウへ①

仕事観について124 ソーゴーからクナウへ①

おはようございます。
 午前7時半、SLOW livingへ。M氏はスコーンを焼き始める。僕は朝礼の準備等。8時半、朝礼。SLOW livingから参加。その後は自宅と店の間を行ったり来たり。あまり効率のよい動きとは言えない。夕方近く、H社のA会長から「届け物がある」との電話。急いでSLOW livingへ行ってみると、自宅新築10周年のお祝いだった。僕はすっかり忘れていた。確かに2012年のことだ。あっという間の10年。もっと長期的視点を持つと、20年も50年もあっという間なのかもしれない。7時半帰宅。

ソーゴー印刷の50年

我が社の創業は1954年ということになっています。昔の会社案内にそう書かれています。他に頼るべき史料はありません。1954年、昭和謄写堂として創業。ここを起点と考えるべきでしょう。そこから移転と組織変更を何度か重ねています。当時の状況は僕にはよくわからない。1965年、有限会社日邦社高原印刷を創立。ここにも実は謎があります。昔の会社案内には「日邦社高原印刷所」となっている。しかし、僕のかすかな記憶と当時の写真を見ると「所」は付いていないんですね。いずれ、ちゃんと調べてみなければなりません。
 今の「ソーゴー印刷株式会社」となったのは1972年。1970年頃まで、僕には印刷工場内で遊んだ記憶が残っています。その後、印刷工場に足を踏み入れた記憶はありません。1971年に移転し、自宅と会社が別々な場所になったため。それまでは「印刷」が生活の一部でした。以後、僕にとっての印刷は学校新聞だけとなりました。謄写印刷が僕にとっての印刷。自前のヤスリと鉄筆を持っていた。こんな中学生は滅多にいなかったことでしょう。丸善のタイプライターを使っていたのもこの頃です。
 自分史ではなかった、社史を書いていたのでした。
 我が社の社史を見ると、1990年代に新たな方向性を模索していることがうかがえます。1992年、Macを導入。1995年、家系図作成ソフト「家康」発売。1998年、月刊しゅん創刊。2000年、プリントショップしゅん開店(1年で閉店)。社史に載っていない大小さまざまなチャレンジもあったはず。先代社長はこの頃から、製造業としての印刷会社から脱却しようと考えていました。社名変更も視野に入れていたようでした。
 ですから、社名変更は20年前でもおかしくなかった。実際、当時社内で検討が重ねられていました。変更に至らなかった最大の理由は、まだまだ「紙媒体がメインの会社」だったためでしょう。2002年から月刊しゅんが成長期に入り、この勢いに乗って社名変更する手はありました。このとき、社名変更していたら「株式会社しゅん」になっていたかもしれませんね……。
 「クナウ」という言葉が我が社に登場するのは、2003年。スロウ創刊の準備段階に出てきた名称。このため、雑誌名は「スロウ」ですが、レーベル名として「クナウマガジン」と名乗ることとなりました。「クナウ」は表舞台に登場することはほとんどなく、社内の部署名となったり、雑誌・書籍の一部に印刷されるのみ。それが19年後、我が社の社名となることに決まりました。
 長い冬の期間、ずっと雪の下から顔を出すのを待っていた……。そんな感じかもしれません。
 株式会社クナウパブリッシングとなっても、印刷をやめてしまうわけではありません。よりクリエイティブな会社に変わっていく。情報発信主体の会社になっていくということです。そして、印刷業を通じて積み重ねられた技術・ノウハウを活用して、アナログ・デジタルを問わず、良質なコンテンツを創造する会社になっていきます。僕にとっての理想の社名は、理念を凝縮させたものであり、目指すべき方向性を指し示すもの。クナウパブリッシングにはそれが満たされていると思っています。(つづく)

※写真は旧社屋

ソーゴー印刷株式会社

〒080-0046 北海道帯広市西16条北1丁目25
TEL.0155-34-1281 FAX.0155-34-1287

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