
おはようございます。
午前7時40分、SLOW livingへ。8時半、朝礼。9時半、店に荷物を運び入れる。10時、Y氏とともに札内で取材。ここを訪れるのは2度目。スロウ次号の巻頭特集のひとつ。全体はもちろんだが、ディテールを丹念に観察するとおもしろい場所だった。12時半帰宅。次の予定は午後2時。そう思い込んでいたが、よく確かめると3時半だった。最近、この種の勘違いが増えている。というか、激増している。気をつけねば。3時20分、とかち館。3時半、オンラインにて、北海道中小企業家同友会と北海道中小企業総合支援センターとの連携協定締結式。4時からは、北海道中小企業家同友会第54回定時総会。6時閉会。6時40分帰宅。再びSLOW livingへ。7時、久しぶりに料理を作る。
どこまで作り込むか
よく、映画の撮影で「映らないところまで細かく作り込む」といった話が出てきます。作り込む映画と作り込まない写真。この違いはおもしろいですね。
もちろん、作り込む写真というものもあります。コンストラクティッド・フォト(構成的写真)、あるいはステージド・フォト(演じられた写真)と呼ばれるもの。この場合、写真は「撮る」から「作る」になる。作ったものを撮影することになるため、これを写真表現と呼ぶには抵抗感を覚えます。しかし、写真と現代美術の間に境界線はないに等しい。僕は一切、作り込みを行いませんが、そのような写真があってよいと思っています。
反対に、文章を書くときや講演・セミナーでは作り込みを行います。この場合、どこまで情熱を注ぎ込むのかが重要。時間は有限ですから、こだわりすぎると大変なことになります。さすがに、「映らないところまで細かく作り込む」といったやり方をすることはできません。
とはいえ、手を抜くと2つの弊害が現れるものです。ひとつは、読者や聴き手に底の浅さが伝わってしまうこと。もうひとつは、自分自身のモチベーションが低下してしまうこと。したがって、何事も準備は入念に行う必要があります。準備不足でうまくいくことはまずありません。
そして、映画の撮影ではありませんが、映らないところ、ほとんどの人が気づかないようなところに気を配る必要がある。ここが案外、というか非常に重要なポイントではないかと思うことがあります。
それは昨日、取材の中で撮影しながら感じたことでもありました。たぶん、この場所に目を留める人はいないだろうな……。そう思われる部分が妙に美しかったのです。偶然そのようになったのか、それとも意図して作り込んだのか、僕にはわかりません。しかし、客が決して足を踏み入れることはないであろうと思われる場所に美があった。このおもしろさは、スロウの記事の中に隠されているちょっとした謎に通じるものがあります。
あるいは、このようにも考えられます。
気づかないと思っても気づいている。河井寛次郎の言葉「助からないと思っても助かっている」のバリエーションのようでもありますが、実は潜在意識のレベルでは「気づいている」のではないか。そう思うことがあるのです。どこがよいのかわからないが、いいと感じるような作品、商品、場所、人、組織があるものです。明確に意識化されていないため、よさを説明することはできない。けれども、気づいてはいるのです。
人間には、見えない部分をイメージし、美しいかどうか、好ましいかどうかを感じ取る能力が備わっている。
そう考えると、潜在意識に向けて働きかけることが大切であり、見えないところにまで気を配るような仕事の仕方が大事である、という結論に至ります。人が気づかないところ、自分が本当に納得するところまで到達しなければならない。それを、今抱えている仕事量とどのように折り合いをつけるのか。ここに、人間の悩みと成長の可能性があるのでしょう。