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偶然とその前後78 「ほしい」という欲求

偶然とその前後78 「ほしい」という欲求

おはようございます。
 午前8時半、SLOW livingへ。店内の追加工事。9時来客。有益な情報をいただいた。10時、ZOOMミーティング。11時過ぎ帰宅。視察を兼ねて芽室で昼食を……と思ったら、11時40分というのに駐車場はいっぱい。あきらめて自宅で食べる。午後1時半出社。2時来客。社内で仕事をしていたら、大変なことを思い出した。急いで取りかかる。5時20分帰宅。6時半、同友会事務所。中小企業家同友会とかち支部四役会。8時半帰宅。

「ほしい」という欲求

世の中によいもの、すぐれた製品はたくさんあるが、買いたいと思うものは限られている。
 「よいもの」と「ほしいもの」との間には、ちょっとしたズレがあるようだ。たまにではあるが、「よくはないがほしいもの」がある。一例としては「体に悪そうだが食べたくなるようなもの」。僕の場合、1ヵ月に1回くらいのペースで食べてしまうことがある。
 「よいもの」と「便利なもの」の間にもズレがある。便利だからよい、不便だから悪い、というわけではない。とっても不便で手間がかかるのだが、使いたくなるという製品もある。
 スロウで取材した商品の中に、極めつけと思えるものがあったことを思い出した。その名は「腕日時計」。腕時計になった日時計。その不便さたるや、想像するまでもないだろう。時刻を知るには、時計をはめて南を向く。腕を親指側に傾ける。内側のスクリーンに映った数字を読む。3ステップを経て、さほど正確ではない時刻を知ることとなる。しかし、腕日時計で時刻を知るというプロセスをイメージすると、試してみたいという欲求が湧いてくるのではないか。
 一部の人に限られるかもしれないが、「不便さは贅沢」という感覚が広がりつつあるようだ。「不便」が付加価値ともなり得る。ネット通販を利用すると、たいていのものが翌日(北海道は2日かかるが)届く。それは便利だが、あらゆるものが便利に購入できたり、便利に使うことのできる時代には、それなりに物足りなさを感じるものである。
 人々が商品を購入する最大の動機は、「よいもの」でも「便利なもの」でもなく、「ほしいもの」である。「よいもの」であることは必要最低条件であると思うが、便利であるかどうかは条件とはならない。また、「ほしい」という欲求には個人差だけではなく、タイミングもある。僕は2ヵ月ほど前、二酸化炭素濃度測定器が必要だと思って購入したが、今はさほど必要性を感じていない。SLOW livingに設置。これが何なのか知っている人は少なく、注目する人は皆無である。
 SLOW livingの店内を見渡すと、あってもなくても生活に支障はないが、何となく気になってほしくなってしまう……という商品が多い。便利さを追い求めている商品は少ない(ないわけではない)。目立ちはしないが、地味にいい仕事をしてくれそうな商品もある。押しつけがましくない便利さ、と言ったらよいのだろうか。「なごみ温」は商品だけみると、何に使うのかよくわからない。実際に使ってみると、意外な便利さに気づいて毎日使いたくなる。僕の場合は、これがないと生活に支障を来すほどだ。
 「よい」「便利」「ほしい」。この3つの感覚を比較しながら、最終的には「ほしい」ものを人々は購入しているはずだ。「ほしい」と思いながら購入を踏みとどまるとすれば、それは「高価であるから」か「あまりに不便だ」と感じるからだろう。「ほしい」という欲求は何物にも勝る。何度も足を運び購入に至るというケースもあるだろう。僕は20代の頃、そのようにしてカメラの機材を購入した。
 僕が一番心配するのは、「ほしい」という欲求の衰えである。物欲から自由になるのはよいことかもしれないが、欲求とともに生命力まで失われてしまうような気がする。モノである必要はない。「体験」でも「知識」でも「時間」でもよい。「何かを手に入れる」ことに情熱を注ぐことが大事だと思う。

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