
おはようございます。
6月4日、帯広の最高気温は34度。外を歩くと熱風。そんな中、スロウの商品イメージ撮影。なぜか自宅ウッドデッキで数カット撮ることになった。ふらふらだ。夕方からは食事会。ジンギスカン。ふだんなら涼しいはずの時間帯。だが、昼間の熱気は収まりそうにない。みんな若いだけあって、暑さ寒さに関係なく、食べる食べる。久しぶりにジンギスカン鍋「蒼き狼」を使用。やはりこれに勝るものはないな……。
外焼肉民主主義の時代
というわけで、今朝はジンギスカンについて書こうと思っています。話したいことは山のようにある。けれども、意味のある話になるかどうかわかりません。ただの個人的な思いだけで終わってしまうかもしれません。
「ジンギスカン」という場合、僕には2通りあります。ひとつは焼肉店(おもに平和園)で食べるジンギスカン。もうひとつは、近年みんなが「外焼肉」と呼んでいる活動。ジンギスカンは料理でもあり、屋外料理のひとつのスタイルでもある。僕としては後者のイメージが強い。
ですから、外焼肉とかバーベキューといった言葉を聞くと、ちょっとした抵抗感がありますね。自分としてはジンギスカン大会なのに、みんなは外焼肉と認識している……。そんな意識のギャップをときどき感じてしまいます。
この意識のズレがジンギスカンの焼き方にも現れている。そう感じているのは僕だけでしょうか?
僕がジンギスカンという魅惑的な食べ物と出合ったのは、約50年前のこと。大昔。そして、このように書くとずいぶん年寄りになったような気持ちにさせられます。
それはともかく、当時の会社の人たち(日邦社高原印刷所の時代)と一緒に花見(僕のかすかな記憶では)で食べたのが最初だったと思います。それが驚くほどおいしかった。たぶん、そのときの肉は松尾ジンギスカンだったでしょう。
当然、ジンギスカン鍋は、中央部が凸型になっていて、周囲に煮込みゾーンがあるもの。ちなみに、「煮込みゾーン」という名称はスロウ編集部で命名(?)したもの。それまで「汁だまり」と呼ばれていましたが、あまりよいイメージではない。周辺部分は野菜を煮込むという重要な役割を果たしていましたから、あえて呼び名を変えたわけです。どのくらいジンギスカン用語として浸透しているかはわかりません。
ジンギスカンにはジンギスカン鍋。中央部で肉を焼き、周辺部でもやしを煮込む。たぶん、当時のジンギスカン鍋は煮込みゾーンが浅く、煮込むといった状態にはならなかったはず。もやしがしんなりした程度だったことでしょう。今のようにニンジン、エリンギ、アスパラ、キャベツといった各種野菜が入ることもありませんでした。シンプルに肉+もやしだけだった記憶しています。今はうどんや餅が入ることもあります。このためジンギスカン鍋の形状も煮込みを重視したものが増えていると思います。
僕は20年間大阪と東京で暮らし、久しぶりに帯広に戻ってくると、ジンギスカン事情は一変していました。なんと、網焼きが主流となっていたのです。しかも、ジンギスカンとは言わず、外焼肉とかバーベキューとか言うのです。20年も帯広を離れていた自分が悪い。そう言ってしまえばそれまでなのですが、ちょっと納得がいかない。
そう言いながらも、十勝ではすっかりこの方式が定着してしまっているようです。炭火+焼き網。そこにジンギスカンも牛カルビもソーセージも野菜も、何でも乗せてしまう。みんな平等な扱い。これが民主主義というものなのでしょうか?
確かに、ジンギスカン鍋は上下関係重視の時代の産物だったかもしれません。ジンギスカンが頂点に君臨し、もやしは汁だまりと呼ばれる下層に置かれていた。立場が逆転することはありません。
ただ、どうなのでしょう? もやしにとっては、ジンギスカン鍋の煮込みゾーン(汁だまり)のほうが居心地がよかったはず。今のように焼き網の上に乗せられると、いつ網からこぼれ落ちて炭の餌食になるかわかったものではありません。民主主義的に思える網焼きは、実は非常にリスキーな焼き方といえるのです。
それはラムやマトンにとっても同じこと。きっと、直火で熱せられるという恐怖感を常に感じていることでしょう。油断すると肉が炭に変わってしまう。あるいはもやしとともに網から滑り落ちる。こんなリスクの高い料理法はありません。人間にとっても網焼きは油断ならない。カルビなどは、油断すると炎上してしまうのです。SNSで炎上した経験はありませんが、カルビ炎上は日常茶飯事。
こうしたスリルいっぱいの野外料理がいつの間にか常識となり、会社の花見でも週末の家庭料理でも、スリリングな民主主義的外焼肉が行われるようになってしまいました。
全員横並びというのは、アスパラ、エリンギ、トウキビ、ソーセージなどにとってはよいのかもしれませんが、ジンギスカンの主役(ラム、マトン)と名脇役(もやし)には不向き。みんなそのことを薄々感じているから、「外焼肉」という呼び方になったのだと僕は想像しています。
このように変わった理由がもうひとつありました。
それは燃料。僕の記憶では、昔は小型のプロパンガスとコンロを持ち込んでジンギスカン鍋を乗せていたのです。今は炭火が主流。
昨夜行われた食事会も、炭火には焼き網、カセットガスにはジンギスカン鍋が乗せられました。このあたりも見逃せない要因といえるかもしれません。
ただ、僕としても時代の変化には対応していかねばなりません。焼き網の代わりに、ジンギスカンに適した鉄板を乗せればよいのではなかろうか? そうすれば、民主主義的横並びのまま、ジンギスカンももやしも安心して焼くことができる。できれば、少しだけ小高い丘のような形状になっていると理想的ですね。多少は高低差があったほうが、食材も人材もモチベーションが上がるのではないかと思います。
※上の写真は2012年の食事会(昨日は食べることに集中していました)