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写真論23 撮り方よりも見方

写真論23 撮り方よりも見方

おはようございます。
 6時50分頃出社したと思うのだが、はっきり記憶していない。午前中は会社で仕事をする。スロウ72号の僕の担当ページを校正。続いて、ある企画をまとえる。同友会関係の仕事等。午後は郵便局と自宅での仕事。3時頃帰社。自費出版ネットワーク関係の業務。午後の社内は蒸していた。なんだかおかしいぞ。そう思ってふと見渡したら窓が開いていた。エアコンのスイッチは消されていた。5時半帰宅。夕食を食べてから、とかち館へ。7時、中小企業家同友会とかち支部6月例会。報告者は前田農産食品(株)、(株)十勝ふじや牧場、(有)トヨニシファーム、(有)北広牧場の4社。テーマは「トヨタ式で現場カイゼンせよ!十勝カイゼンファームプロジェクト報告会」。話は具体的でわかりやすいものだった。複雑な内容のものは応用しにくいが、シンプルな話は自社に採り入れやすい。こういう報告会は自分にとっても参加者にとってもメリットが大きい。9時半帰宅。

文章と写真との違い

僕は写真の撮り方について、人に教える能力があるとは思っていません。また、人から教わることもほとんどない。一番教わったのは、30年以上前、スタジオアシスタントからライティングを教わったことかな。ライティングについては僕よりも貸しスタジオ勤務の人のほうがよく知っていた。僕は商品撮影にさほど興味はなかったので、探究心が欠如していたのでしょう。教わりながら次第に撮ることができるようになっていった。
 撮影技術も暗室技術もフォトショップも、「こんな感じかな」とあれこれ試行錯誤する中で身につけていったもの。本当はもっと効率よく学ぶ方法があるに違いない。けれども、自分で身につけるという以外に学び方を知らない。文章についても、手取り足取り教わった記憶はありません。「このレベルではお金はもらえないな」という気持ちがあって、プロレベルに近づこうと努力する。「教わる」ことは大事ですが、「教えてもらう」だけでは人は成長しない。自分で何とかするという意欲が重要だと僕は考えています。
 したがって、僕が写真について人に教えられるものがあるとすれば、それは写真の見方でしょう。学校に通っていた頃には、読書感想文といったものがありました。経営者になって研修に通うと、文献レポートという課題があった。書物については、考える機会も教えられる機会も多い。
 一方、写真はどうか? 世の中にこれだけ写真があふれているのに、写真の見方について語られる機会は非常に少ない。このため、多くの人が写真の本当のおもしろさを知らぬまま過ごしている可能性が高いのではないか。言葉で表現されている文章に対し、写真は映像表現ですから、言葉に置き換えるのは容易ではありません。おもしろさ、奥深さを言葉で誰かに伝えるのは、とてもやっかいなことのように思えます。伝える能力を持った人は非常に限られるだろうな……。僕がその一人になれるかどうか。何とも言えません。
 比較的多くの人が見落としているのは、「写真が何を表現しているか」よりも「写真に何が写っているのか」に意識を向けてしまうところ。おもしろいもの、不思議なもの、インパクトのあるものが「いい写真」ということになる。もちろん「何が写っているか」が写真鑑賞の入り口にはなるのですが、そこで留まってしまってはいけない。その背景に何があるのか、本当はどこに心動かされているのか。それは写真を鑑賞すると同時に、自分の内面への問いかけでもあります。写真は言葉を介していない分、自己への問いかけに向いている媒体です。
 こうした鑑賞の仕方に慣れていくと、それを自分の日常にも応用できるようになっていく。写真を撮るまでもありません。今自分の目の前で起こっている現象にはどのような背景があるのか、何を意味しているのか、自分はなぜ心が揺れているのか……。毎日の出来事の中にあるちょっとした謎が解明されやすくなっていくのです。ここに写真鑑賞のおもしろさがあるのではないかと思っています。

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