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写真論25 記録と記憶

写真論25 記録と記憶

僕以外の人間にとってはどうでもよいことだが、大変な失敗をした。何だかおかしいな……と思いながら夜眠ったのだが、変だと思う理由が判明した。昨日、ブログを書き忘れたのだった。16年欠かさず続いた日課が途切れた。また、今日から続けることにしよう。2日分の日誌を書く。
 7月6日は動画の修正作業から始まる。YouTubeにアップ済みの動画1本を削除し、編集し直す。昼は帯広ロータリークラブ例会。午後2時来客。6時、街中で飲む。
 昨日7日はコーヒーゼリー作りから始まった。この業務は手順を覚えれば技術は不要。誰かにやってもらえるようにしよう。11時40分来客。僕は10分間しか応対できない。M氏とN氏に依頼。12時、組合理事会。4時、幹部会議。リアル開催+ZOOM参加1名。今月はめずらしく6時半まで行われた。6時45分帰宅。

毎日続ける意味

何がどのように変なのか。それを知るには、写真を撮ることが手がかりとなります。疲労を感じたり、後ろ向きな気持ちになっているときには露出がアンダー気味となる。あれこれ考え事をして注意力散漫になっていると、後ピンの写真が多くなる。何かに迷っているときには、フレーミングが単調になりやすい。
 ただ、コンディションがイマイチなときにはそもそもカメラを手にしないことが多い。取材予定が入っているときに気づくこととなります。気づけば修正を図るため、変な状態は次第に解消されていく。ここが仕事のよいところ。毎日仕事をしていれば、ある一定の範囲内に自分のコンディションを保つことができる。ただし、丸一日パソコンに向かっているというような場合は、こうした自己治癒力(?)が働かないことがあります。
 僕の場合はカフェインとポリフェノールで正常化を試みます。単に、コーヒーとチョコレート。机の引き出しにはカカオ95%を常備。一方、コーヒーは店用に淹れるばかりで、しばらく自分で飲んでいませんでした。これが原因かな? 夏に水出しコーヒーを飲まないと。やはり調子は出ない。店用とは別に自宅用を淹れることにしました。今朝は上々のコンディションです。
 写真はセルフポートレートを除けば、自分以外の被写体を撮影します。そこに自分は写っていないわけですが、何か痕跡のようなものが残る。そこが写真のおもしろいところ。人物を撮る場合には、自分と被写体との関係性が写る。風景を撮ると、自分の心の状態が被写体に投影される。これは他人にはわからなくても、撮影した自分にはハッキリわかる。このため、撮影後何10年経っていても、撮影したときの心境を思い出すことができる。
 日常のさまざまな出来事はきれいさっぱり忘れてしまうのに、写真を見ると鮮明に思い出す。僕が写真を撮り続けているのには、きっとそのような理由があるからでしょう。写真は一瞬にして記憶を呼び覚ますことができるわけですが、文章にも同じような作用が期待できそうです。少しタイムラグはあるものの、過去に書いた文章を読むと、そのときのシチュエーションが思い浮かぶ。やはり、ブログは毎日続ける必要がありそうです。

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