
朝は自宅で30周年記念誌のPDF化作業。午前7時、SLOW livingへ。ひと仕事してから出社。30周年に続いて、20周年記念誌のPDF化。こちらのほうが紙が弱そうなので、キャリアシートにはさんで慎重にスキャンしていく。10時まではPDFデータの修正作業に時間を費やす。続いて、柏葉高新聞のデータ。EPSをJPEGに。それらをPDFに結合。どうということはないが、データが重いうえ、ページ数がやたら多い。70年分くらいあるから当然だ。午後1時、帯広柏葉高校協賛会編纂部のメンバーが集まる。僕を含め7名。3人くらいかなと思っていた。応接室での作業は窮屈だったかもしれない。次回は研修室を使うことにしよう。この日は4時過ぎに作業終了。4時半帰宅。休日として過ごす。
戦時中の式典と記念誌
それにしてもすごいと思うのは、帯広柏葉高校創立20周年記念誌です。発行されたのはおそらく1943年。81ページ以降が欠落しているため、発行年月日は不明(史料を探せば判明するでしょう)。9月28日、創立20周年記念式典、翌29日、體錬(たいれん)大會の行事次第が載っていますから、発行されたのは10月以降でしょう。
戦時中に行われた20周年記念式典。そして編纂、発行された20周年記念誌。「記念行事記」の冒頭にはこうあります。
「昭和十八年九月二十八日、大東亜決戦體制下、ここに意義ある本校創立二十周年の記念式典を厳粛裡に擧行さる。式典場たる大講堂正而左右には創立の昔を偲ぶ三綱領士規七則の額が今日は一際二十年の校風理想を物語るが如きである(以下略)」
本当はこれ以下の文章も載せてみたいところですが、旧漢字な上、コピーがやや不鮮明で判読困難な箇所があります。「厳粛裡」という部分は僕の推測に基づき近いと思われる文字に置き換えました。「厳」は旧漢字の「嚴」ですが、次の文字が判読不明。画数の多い文字で「辯」のようにも見える。「辯(弁)」には「わきまえる」という意味がありますから、「嚴辯裡」なのかもしれません。
細部は不明瞭ですが、全体の意味はよくわかります。記念式には、各方面の来賓、公職者、父兄、同窓生、合わせて300余名、生徒は900名が集まったとのこと。「聲(声)なき緊張、荘厳そのものの如き歴史的な記念式は感激裡に行はれた」と記されています。
戦時中であるため、記念式終了後には、講堂において慰霊祭が行われたようです。祭文からは戦死した卒業生、学友に対する思いが思いの外、ストレートに書き表されていました。
20周年記念誌はコピーによる複製本であるため、ところどころ不鮮明なのはやむを得ません。それでも、実に読み応えのある内容です。AdobeアクロバットでOCRを試みると、比較的ちゃんと読み込まれていることがわかります。検索にも十分使えることでしょう。
