
午前7時50分出発。8時半、車の中から朝礼に参加。狩勝峠を越えると晴れてきた。風景撮影しながら旭川へ向かう。気温も高い。車の温度計では31度まで達した。楽観的天気予報が当たったようだ……。そう思っていたのだが、肝心の「ゆったりある記」の取材となると、悲観的天気予報が当たった。突然の雷雨。歩き始めて10分くらいたった頃だった。急いで引き返す。車に戻って正解だった。その後、豪雨となった。取材は延期となり、別な取材地を探すために江丹別まで足を伸ばす。5時、旭川市内の宿にチェックイン。部屋の窓から虹が見えたが、ほとんど消えかかっていた。
人工と自然
考えてみると、「ゆったりある記」の連載はずいぶん長い。僕の「北海道 来たるべき未来を見つめて」と同時期に始まっています。もうそろそろネタが尽きるのではないか? ときどき、そんな会話が繰り広げられる。それでも調べてみると、ほどよく自然散策のできる場所が各地にあるものです。もうないのではないかと思ってしまうのは、単に情報を見つけられない、または見つかってもどのような場所なのかイメージできないためでしょう。
著名な観光地であれば、詳しい情報がたくさん載っている。ネットで検索すると山ほど出てきます。一方、訪れる人の少ないと思われる場所の場合、知りたい情報が載っていないケースが多い。
このため、あるエリアを絞って、複数の取材候補地を見つけ、実際に歩いてみて記事にするかどうか決めることになります。歩いて、取材・撮影してみたけれども、記事にならなかった場所がこれまでいくつもありました。その意味では、ややリスキーな取材。しかし、写真はどこにいても撮ることができますから、僕としてはどんな場所でも歓迎です。
昨日、雷雨のため取材延期にした場所は、かなりよさそうな取材地でした。日を改めてもう一度訪ねることになるでしょう。記事としての採否はどのように決めているのか? それは担当のM氏の判断基準によるもの。植物の観察ができるかどうかが決め手であるようです。「ゆったりある記」という連載名からすると、町歩きでも歴史散策でもよさそうな気がしますが、これらは対象外らしい。僕が興味のある洞窟や鍾乳洞も違うとのこと。
基本は森の中。それも、人工的に整備された公園は対象から外れてくる。公園の場合、整備の具合に幅があるため、自然が残っているところはOKのようです。この判断基準は主観的なものですが、僕にもよく理解できます。人の手がまったく入っていない場所は、たぶん僕らには歩くことはできない。その意味では人工的。僕らが興味を持っているのは、たぶん人工と自然の混じり合った場所なのではないか。
それは100%ワイルドな人、100%理性的な人、どちらのタイプの人ともちょっと付き合いにくい、というのと同じような気がします。ほどよく混じり合った場所、人のほうが付き合いやすい。写真を撮っていても、他の仕事をしていても、いつもそんなふうに感じています。