
午前7時半SLOW living。8時から帯広市内数ヵ所を撮影。青空。朝から気温が高い。撮影は快調に進む。だが、フォトジェニックな被写体に出合うことはなかった。最初から予想されていたこと。場所としてはおもしろいのだが、景観を意識せずにつくられたのだと思う。大通公園を撮影してからいったん帰社。11時半、撮影再開。3ヵ所ほど。これで記事がまとまるのだろうか。成否は来月の取材にかかっている。撮影後、昼食。さらにニューパックとがしで容器を購入。3時頃帰宅。ひと休みのつもりが長引き、そのまま夕食タイムに突入した。
跨線橋
帯広の歴史は少し調べただけでも非常に興味深いものがあります。まだ「調べた」といえる段階にはありません。それでも、少し調べた事実と僕の昔の記憶をつなぎ合わせると、おもしろい情景が浮かび上がってきます。このあたりを記事にしようと思っているのですが、果たして深みのあるものとなるかどうか。専門家の持つ知識を加える必要があります。
昨日午後の取材では、大通公園のあたりで写真を撮り、その後、帯広駅近くにあるふじもりで昼食を食べました。そういえば、大通りには跨線橋が架かっていたな。ある年代以上の人であれば当然覚えているであろう跨線橋。僕の記憶からすっぽり抜け落ちていました。子供の頃、跨線橋を歩いて渡ったことはあっただろうか? この近辺には当時の記憶を呼び戻す手がかりとなりそうな建物がいくつか残っています。写真を撮り歩くと、古い記憶がよみがえってくるかもしれません。
記憶を呼び覚ますのに重要なツールといえば、何といっても当時の写真ですね。駅や駅前の写真、商店街の写真などはずいぶん多く残っています。昨日、別件で郷土史研究家の方と話をしました。その時代、その町に写真家がいたかどうかが決め手であるという話でした。とすると、自治体によって写真が豊富に残っている町、少ない町があるのかもしれません。記録媒体としての写真。写真家は表現者であると同時に、記録者でもあることを認識すべきでしょう。
夕方、記録者としての自分を強烈に意識するような出来事がありました。数年前に取材した写真をDVDに焼き付けながら、僕は記録について考えていました。同じ写真であっても、自分にとっての写真、記事としての写真、取材相手にとっての写真。それぞれ持つ意味が異なってきます。取材目的で撮った写真であっても、撮影後には異なる意味と価値を持つ。数年後、数10年後に果たす写真の役割について意識しながら写真を撮ろうと思います。