スロウ73号、7ページの記事づくりに全力を注ぐ……つもりが、SLOW livingの仕事に3時間費やしてしまった。店と会社を行ったり来たり。午前10時過ぎ、ようやく執筆スタート。とはいえ、すでに7割程度書き進んでいた。午前中に本文を書き終える。昼食から戻ったらもう午後3時。タイトル、リード、見出し、キャプション。6時半頃完成。担当デザイナーに入稿する。
エビデンス
僕は記事づくりに時間がかかるタイプ。それはなぜかというと、仕事が遅いという理由だけではないのです。ラフレイアウトをつくるのが苦手であるため、インデザインを使って自分でデザインしてしまいます。プロではないので、デザイナーが手直しせねばなりませんが、自分のイメージ通りのページをつくることができる。デザイナーはたぶん仕事が楽になる(はず)。
とはいえ、自分で誌面をレイアウトするのはけっこう大変です。写真とも文章とも異なる部位の脳みそを使うことになる。ストレスのたまる仕事のように思えます。ロットリングを使って版下台紙に線を引いていた時代だったら、気が遠くなりそう。僕は新社会人時代、1年間だけデザイナーと一緒に仕事をしました。彼らがこのような苦労をしていたとは、ちっとも知らなかった……。
同じように、原稿執筆を仕事にしてない人は編集者やライターがどこで苦労しているのか、わかりにくいことでしょう。名文が浮かばずに苦労しているわけではないのです(そういう人もいるのかな?)。
僕の場合は「自分の理解が追いつかなくて苦労する」か「それが事実かどうか確証が得られるまで調べることに苦労する」かのどちらか。昨日書き上げた記事の場合、両方がありました。その結果、少し書いては調べる。いったん書いてから調べ直す。そういう時間が必要となりました。調べるツールはネットが半分、もう半分は僕が独自に入手した資料。インタビューの内容と手元にある資料とネット検索。それらを比較しながら、これで間違いないだろうと思って書いていきました。
歴史というものはなかなか手強い。文献によって年代にブレがあったり、正確な事実を特定できないことがあります。その上、わざとではないかと思うほどわかりにくい文章に出くわすことがある。資料が正しいとは限らない。誇張や創作が含まれていることも考慮しなければなりません。
重要な事柄については、複数の資料を使って裏を取るようにしています。先日の取材では「一次資料を集めるようにしている」という話を聴きました。これが何よりも大切ですね。
ネットのない時代にはどのように取材していたのでしょう。30年前の僕は少ない資料を使ってどのように話を膨らませるか考えていました。今は容易に資料を集めることができる。恵まれています。その分、ちゃんとエビデンスを揃えなければなりません。