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写真論30 見えるものと見えないもの

写真論30 見えるものと見えないもの

午前8時半、久しぶりに自宅から朝礼参加。9時出社。午前中は溜まっている仕事を少しずつ片付けていく。午後は自宅でパソコンに向かう。僕のもっとも苦手とする仕事をまとめて行う。そのうちのひとつは日程調整。あれよあれよという間に時間が過ぎていく。別件で電話をしまくる。これも苦手なことのひとつ。6時過ぎ夕食。7時、中小企業家同友会とかち支部組織企画委員会にZOOM参加。

目に見えるものをしっかり見る

毎回不思議に思うのだが、スロウの入稿を終えると、急に視界が開けてくる。滞っている仕事が見えてきて、やらなきゃという気持ちになる。あるいは追い詰められている感覚となる。僕の担当ページ数は大したことないというのに、ずいぶん重たい仕事のように感じてしまう。というより、スロウが特別な仕事のように僕には感じられる。
 それはともかく、僕には「物事が見えているとき」と「見えないとき」があるようだ。写真を撮っていても、見えるとき、見えないときがある。見えないときにはどんなにがんばっても写真は撮れない。雑誌、印刷物等の写真を撮ることはできても、自分の作品は撮れない。
 反対に、物事がよく見えているのにカメラを持っていない……というケースもある。そんなときは目に焼き付ける。昔は残念がることもあったが、今はそのようには思わない。頭の中にストックされていき、いつか別な場面で役に立つのではないかと思っている。
 写真家の多くは、目に見えないものを撮ろうとしているのではないかと思う。見えるものを撮りながら、見えない何かを表そうとする。見えない何かとはいったい何なのか? それを言葉で説明できればもう少しスッキリするのだが、言葉で表すことに成功した試しはない。僕の言語表現力の問題か、あるいは言葉にすること自体不可能なのか。見えないものを写真にすること以上の難題である。
 僕が現時点で得ている結論は簡単なものだ。目に見えないものを表そうとするには、目に見えるものをしっかり見ることが重要であるということ。物事をちゃんと見ているようでいて、実は見てないということが案外多い。会社の中にいても社内をよく見ていない。心に余裕があり、見えるときには見ているが、余裕を失うとまったく見えていない。そんな経験を持つのは僕だけではないだろう。
 したがって、ちゃんと見る。見て考える。見えるものを通じて、目に見えないものまで見ようとする。そのような習慣を身につけるべきではないかと思う。ちゃんと見る習慣が身につくと、被写体以外のものもよく見えるようになるはずだ。これはフォトグラファーが身につけるべき習慣というより、誰もがそうあるべきだろう。だが、僕自身、まだ身についているとは到底言えない状況にある。

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