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写真論31 「意味の薄い写真」の意味

写真論31 「意味の薄い写真」の意味

9月24日、午前8時頃SLOW living。出社後パソコンに向かう。睡眠不足により仕事は進まない。昼頃、十勝ファーマーズマーケットへ。今シーズン最後のファーマーズマーケットは雨天にもかかわらず大盛況。過去最大の出店者数。今年は天候に恵まれなかったが、充実した最終日となった。午後3時頃帰宅。少し眠る。ぼんやりした状態で一日を終える。この日が大事な記念日であることをすっかり忘れてしまった。25日、午前8時頃SLOW living。9時出社。本調子からはほど遠い状態。午後2時頃帰宅。3連休のうち2日間は意味の薄い日となった。こういうこともあると割り切ることにする。

「意味の薄い写真」の意味

料理の場合は味の薄い・濃いは即座にわかる。そして、ある程度修正することも可能だ。濃すぎる場合修正の利かないこともあるが、修正不可能なほど濃い味付けをしてしまうことは滅多にないだろう。
 一方、一日を終えた時点で意味が薄かったか濃かったかについて振り返ると、感覚的に薄い・濃いと感じることはあっても、本当のところはわからないに違いない。数日、数週間、数ヵ月、数年たってみると「実は濃かった」と思うことがあるのだ。「実は薄かった」という場合、思い出すことはまずない。薄そうに思えても実は濃かった。この組み合わせの時のみ、鮮明に記憶がよみがえる。
 これは写真においても全く同じである。大して意味はないように思える被写体を撮影することがある。意味を感じないのに、シャッターを切る。自分でも不思議に思う。昔はフィルム1本の中に意味の薄いカットが半分くらい占めていたと思う。今はデジカメだから、シャッターを押す回数が増えた。だが、意味の薄いカットの比率はさほど変わらない。意味を感じる写真のバリエーションが増えたためだ。
 昔も今も、「意味の薄い写真」が一定数存在する。何か理由があって、そのような写真を撮っている。僕はそのように理解している。以前は、「意味ある写真を撮るためのウォーミングアップ」ではないかと考えていた。モデル撮影ではそのような撮り方をすることもあったが、実際のところ、ウォーミングアップではないようだ。
 意味の薄い写真には、実は意味がある。撮影した時点では意味がわかっていないということではないか。したがって、来るべき時が来れば意味が浮かび上がってくる。実際、そのような写真をいくつも発見し、自分でも驚くことがある。
 とすれば、今感じている意味の薄いと思える行動にも、何らかの意味があるのではなかろうか……。しかし、この考えにはリスクが伴う。むやみに意味づけを試みると、生産性の低い毎日を過ごすことになりかねない。意味は無理矢理つけるものではなく、自然に感じるもの。数年たってから古酒のような味わいになっていくのが望ましい。

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